補給戦
ロジスティック、物流は活動の源である。自家用車の個人所有ができるということは、現代社会の最も大きな飛躍かもしれない。
- 作者: マーチン・ファンクレフェルト,Martin van Creveld,佐藤佐三郎
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 文庫
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補給を受けるためにはロジステイックスを確保が必要であり、その輸送力が牛馬であるかぎり、その「燃料」として秣、飼葉が必要になる。戦争というと、弾薬など武器などの補充が、最優先に思えてしまうが、これらは、戦いがなければ消費せず、回避が可能である。しかし、生命活動を維持するには、人間のみならず、馬のえさも、毎日必要である。そして、馬はオオぐらいだ。
これは、考えてみると、現代の軍隊でもおなじで、軍隊を維持するに必要なのは燃料の確保ということだろうか。この本でも記述されている、北アフリカのロンメルの戦争だが、現地調達できない砂漠地帯では、補給がすべてであり、港から離れれば離れるほど、燃料の確保が困難であり、燃料を運ぶために大量の燃料が消費されるということになる。
さらに興味深いのは、補給が勝敗を決定するという本書が主張しているのだが、補給の計画がかならずしも有効な結果になったことはなく、近代の戦争では結局いかに現地調達を臨機応変におこなったかが結果として有効だったと思えてしまうことだ。
現代においても、モルトケの鉄道の有効利用や第1次大戦のドイツの参謀本部、第2次大戦のノルマンデイのときの補給計画など、かなりの疑問をもっているようだ。
主計を担当する部署は、数字を基に補給量を想定し計画を立て、推進していこうとするが、現場では想定どうりの状況にはならない。その場その場での臨機応変さがとわれてしまう。では、計画そのものが有効なことではないのかとも思えてしまうが、実績を把握し、計画との乖離を把握していくことが、対応していく原動力なのだろうと思う。想定が難しいからといって、戦い自体をしないことを選択しつづけたら、相手側に有利になる一方だろう。
仮説検証型で、戦略的思考を持ち、確かな戦術で遂行していく。それは、ビジネスもしかり。評論のみでは結果に対する論議しかできない。