matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

結局は、低賃金労働者不足...現代版奴婢にならないように

景気回復で仕事が増えているにもかかわらず、働き手が足りないために仕事を受けられず、事業継続の断念を余儀なくされる「人手不足倒産」が全国で相次いでいます。有効求人倍率が44年ぶりの高水準を記録するなど労働需給がひっ迫する中、従業員の離職や採用難など人手不足による収益悪化で倒産する企業が全国で急増している。
厚生労働省のまとめでは、国内の有効求人倍率は2017年度、1.54倍に達し、44年ぶりの高水準を記録した。2018年度に入っても4月1.59倍、5月1.60倍、6月1.62倍、7月1.63倍と上昇を続け、企業の人手不足感が高まる一方
不足とされているのは、慢性的な人手不足が続く道路貨物運送や介護、木造建築工事などの業種を中心らしい。新聞のチラシにパート募集も入ってくる。人手不足が人件費の増加や事業遂行の妨げとなり、収益を悪化させる例も急増。中小企業の人手不足が社会全体の危機になりつつある。
地方の急激な人口減少や雇用のミスマッチが原因といわれている。

少子高齢化が主因ということだが、実態は低賃金で働く担い手が減少しているだけのようにも見える。大手企業ではリストラで中高年の正社員が離職され、改善されたとはいえ新卒の求人も大幅な増加はなく、新卒の入社後の離職率は高く、ブラック職場は相変わらず少なくないのではないか。短期的な利益追求が育成という面が軽視され、即戦力という転職市場は活況を呈しているように見受けられる。
利益追求=コスト削減=人件費削減=低賃金での労働力
かつて、戦争は奴隷確保の手段であった。ローマ帝国は、奴隷による大規模農業により支えられ、アメリカの綿花栽培は、黒人奴隷によって行われた。供給源はアフリカの部族間闘争の結果でもある。被征服者は戦利品として人間を商品化されてきたのが人類の古代からの歴史だ。農業の規模拡大には多くの人力が必要である。

ハローワークには求職者が数多く日々訪れている。求人の多くはパートなどの非正規か、最低賃金に限りなく近い職種ばかりだ。どれも、単純労働でありキャリアップできるような求人は見受けられない。高いスキルや技能や専門職はたしかに不足しているだろうが、それは昨今にかぎられたことではなく、産業または社会の変化や技術革新が主因で供給がおいつかないのは普遍的現象であろう。
しかしながら、いま海外労働者を規制緩和する目的は、低賃金コストの労働力確保としかおもえない。
技能実習制度および外国人研修制度は、1993年(平成5年)に導入され、「技能実習」や「研修」の在留資格で日本に在留する外国人が報酬を伴う技能実習、或いは研修を行う制度である。ただ中身について、劣悪な労働環境に置かれるなど人権上の問題が指摘されている。誤解を恐れずに言えば、いわゆる3K職種など日本人労働者を確保できなかったり、外国製品との価格競争にさらされている中小企業が、本来の目的である国際貢献ではなく、低賃金の労働力確保のために本制度を利用するケースが目立ち、研修生の中にも技能修得ではなく「出稼ぎ」として来日する者がいる。現地で斡旋を行う仲介業者は現代版奴隷商人であるといったら言い過ぎだろうか。

日本は、世界の中では治安や政情の安定(固定化?)ではトップクラスであり、社会保険制度なども決して低い水準ではない住みやすい国だ。昨今の外国旅行客の増加、それもリピート率の増加がそれを証明している。

ひとが、一様に教育や医療を受けられる基盤があるのが日本の強みだ。それを生かして人作りをしていくのが日本の将来であり、低賃金労働者を受け入れるのが未来をまもることではない。日本で、技術や製品を開発し、それを世界に展開していくプロデュースできる人材を増やすこと。それが必要な人材ではないか。製造業は、日本をマザー工場とし金融業はファイナンスを基盤とした商社化すること。
江戸時代、両替商は、大名貸という金融だけではなく貸し出した諸藩の地元権益を活用して利益を得ていた。諸藩における商品調達および年貢米売却などの代金の管理、また国許および江戸屋敷への送金、さらに資金が不足した場合の貸付、いわゆる「大名貸」を行う役職は掛屋(かけや)と呼ばれ、大手両替屋の中から任命されることが多かった。
金を貸すことで権益を得、そこから収益を得ていた。利子だけではない。

グローバルに活躍できる人材を日本で如何に確保するかが、海外労働者も含めた少子高齢化での労働力確保の論議が政治でされることを強く望む。

古代の百済高句麗からの倭国の領域であった日本列島には数次にわたり朝鮮半島からの移住の波があった。この中には、技術や知識の導入のため倭王権の掌握下で保有する技能を持って仕えた人々がその第一波からいたことが考古資料によって裏付けられている。
また、文禄・慶長の役にて出兵に参加した大名たちによって連れてこられたり、大名と雇用関係を結んだりして自ら来日した朝鮮人から様々な技能が伝えられた。朝鮮人儒学者との学問や書画文芸での交流、そして陶工が大陸式の磁器の製法、瓦の装飾などを伝えたことで日本の文化に新たな一面を加えた。その一方、多くの朝鮮人捕虜が戦役で失われた国内の労働力を補うために使役され、また奴隷として海外に売られたこともあった。単に奴隷とした場合とのその後の差は歴然としている。海外労働力は奴隷ではなく人材として確保できる、魅力的な社会を作っていくのが、国家としての戦略であり政治家の使命だと願う。