matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

日本というクニの始まり

経済不況のなか、日本の存在感というのは世界経済の中でいかほどあるのだろうか。市場としての魅力はどうもなさそうで、日本に投資したくないうよりも、成長性に欠け、新規参入が困難で見返りもあまり期待できないというか、そもそも関心がないのかもしれない。どうも、日本という地域は、海外から見るとやはり、辺境のかなたのよくわからない地域なのだろう。日本を求められたのは伝聞による黄金への期待であり国として国家として期待は無かったのかもしれない。中国など近隣諸国からすれば、時折略奪にくる迷惑至極な存在だったのだろうか。

王権誕生 日本の歴史02 (講談社学術文庫)

王権誕生 日本の歴史02 (講談社学術文庫)

大王から天皇へ 日本の歴史03 (講談社学術文庫)

大王から天皇へ 日本の歴史03 (講談社学術文庫)

上記の本からすれば、大陸地域の物資や知識ノウハウを求め、その流通経路を独占することがクニとしての成り立ちを形成することにつながっているようだ。日本の統治機構はあくまでも、日本に向き、国内統治のために必要があるときのみ海外に出、そして閉じこもるのをくりかえしてきたようだ。海外から見れば、こんなに身勝手で当てにならないクニはなかったかもしれない。
国防や治安の確保はもちろんだが富の集中ではなく再分配こそがクニに求めらている姿かもしれない。
家族から集落、そして地方集団化などその行政単位が拡大してきたのは歴史的な流れでもあるが、それは経済規模の拡大と密接な関係があっただろう。自給自足的な生活から貨幣経済への移行により社会的分業の成立をなしえたが,それは富の集中と偏在化が顕著になった。縄文時代には無かった規模の争いの始まりが稲作の普及による生産力の拡大が生み出したとも思えるのは皮肉なことだ。農業技術の進歩は、人口を増加させるとともに飢餓の発生規模を拡大させ、食糧の調達手段としての軍事的手段の必要性を生み、そして軍事的優位の基本は兵力の動員力に比例する。つまり規模の差であり、よりおおきな集団になることがクニの成立にもむすびついただろう。
市場としての優位性は、基本は人口規模と経済水準であり、政治体制の安定度に比例している。日本は少子高齢化により人口増加が停滞し需要が増加する傾向も無く、給与水準も世界的には円通貨レベル高のため高い水準であり、年金や健康保険などの社会的コスト負担が企業にも正規従業員の数に応じて課される。高コスト低収益市場となりつつある。さしずめ中国は、低コスト低収益なのだが、人口規模が大きく、過去の経済停滞時期のため自動車や家電などの耐久消費材の普及率からくる潜在的な需要の大きさは規模の確保に十分になる。
日本発の製品が今後生み出せるか否かが、日本経済の復活の源になりうるであろうことは誰もが判っている事だが、はたしてそれがなんなのか。
FAX,VTR、薄型テレビ、アニメなど、世界向け製品として開発されたものというよりも日本市場で支持された製品が世界にも進出できたものが数多い。まずは国内市場で本当に必要があるものこそが世界市場に受け入れられるのではないか。日本市場というのは、新たなトレンド発信地となれる規模と要素を持っている。単一文化圏とした1億の人口、高度な流通網、教育普及率しして治安レベルや停滞感さえあるような政治の安定度。島国根性と揶揄されがちな均質で閉鎖的なイメージは決してマイナス面ばかりではない。
ガンバレ、ニッポン。