matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

血縁

社会の最小単位は血縁関係である。最後の人間関係は家族であり、親族である。企業においても血縁は、その創業者による血縁関係にて経営が継続されることが少なくない。そしてそれが、財閥という企業体にまで広がる。能力と言うより、血縁関係が経営層として優先されることの功罪があるだろう。創業者の孫というだけで100億近くも無条件に融資した事件が話題になってもいる。創業者という位置から、保有する株式数の多さから経営権を自然と持つ場合もあるが、大部分はその保有株数だけで決定権を行使できるわけでもないのに、創業者一族が経営を引き継いでいるケースも多い。
会社は、誰のものかという議論があるが、最近は「株主」という面が多く、多国籍化した企業になると、国という枠を超えた組織になっている場合も多い。そうなると、経営者は血縁のみならず内部昇格よりも、それは、経営者という位置が一過性の外部から請負化しているような印象がある。短期間に巨額な報酬を受け取り、短期に成果を上げることが求められる。企業に属している一労働者からすると、経営者が変わるたびに方針が変更されるが、結局はなにも改善しないというケースのほうが多いような印象であり、創業の頃のカルチャーに沿ったほうが結果としてうまくいってきたが、日本の総理のように短期間に交代し、結果として、問題の原因も、そして成果も、同一のポリシーで行われることはなくなり、ビジョンはなくなり、刹那的な行動に明け暮れていく。
血縁で組織を維持していくというのは、価値観を維持し変化を起こさない安定を期待できる。しかしながらそれは停滞でもある。老舗と呼ばれる組織は、停滞することによって安定、維持してきたのかもしれないが。

インド財閥のすべて (平凡社新書)

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