matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

駅前演説、辻説法

新たな総理が誕生したが、正直、まったく知らない。これが大方の日本人の感想だろう。政治家で野田と言えば、野田聖子、野田 毅だった。地盤も看板もカバンもない政治家が、総理までになったことに時代の変遷を感じる。彼は、松下政経塾1期生だが、この出身者がいつのまにか政界に存在感を示すようになっている。幕末の松下村塾のパクリかとも思えた財界人の道楽?が、いつのまにかである。松下村塾の塾生たちがどれだけ連携感を持っていたかわからないが、当時の社会階層を超えた多様性を持った存在であったことは確かだ。志のある人が目指し集う存在だったのだろう。聞けば、野田総理が、駅前留学ならぬ駅前演説を始めたのは、松下幸之助の駅まで皿回しをするといった本気か冗談か分からない助言からだそうだ。この駅前演説は、結構普遍的な手法で、選挙が近づくと何故か行うのは、一般化しているようで、私の通勤するさして大きくもないJRの駅前でも行われている。正直、それをちゃんと聞いている人がいないのも現実だ。そもそも早朝、通勤や通学の途中に聞いていたら遅刻してしまう人が大部分であろう。では、なぜ行うかというと、良いやってるぞというパフォーマンスであり、選挙中の名前の連呼とさして変わらない。そんなどう見ても、意味がアリそうもない政治行動を粛々と20年近く行ってきたところが、彼の真骨頂だったかもしれない。今回今回、そのようなことをしてきた新総理に対し、幾ばくかの期待感を持ったのは、私だけではないらしく、意外に最初の内閣支持率が高いようだ。
松下村塾のカリキュラム?がどれだけ役に立ったかは疑問だが、その存在は無形の効果があったようで、松下政経塾も、明らかに足跡を残し、とうとう総理まで輩出したことは、やはり、松下幸之助ならではなのだろいうか。では、今、松下幸之助的存在って誰なんだろう。

葬式仏教の誕生?中世の仏教革命 (平凡社新書600)

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