matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

宗教と社会

最近、書店に行くと新刊の新書に宗教関係の出版が増えたように感じる。専門書というより、一般の人向けである。高齢化に伴い、身の回り人たちの死に臨むことが増えたからではないだろうか。TVでは、生前見積りをすすめる葬儀業者のCMが繰り返し流され、毎日の新聞には葬儀社のチラシも入ってくる。団塊の世代の親世代にその対象が来て以来、自分の死をも感じる世代が増加している背景があるだろう。今の内需の拡大は、高齢者の市場をいかに広めるかになっており、コンビニ業界は、その利用者の中心が若者から壮年層それも男性中心から、更に需要を広げるには、女性や高年齢層にいかに利用してもらうかに注力している。出版業界も、人口減少社会においては、狙いはおなじであろう。その結果が宗教に関する一般書の増加になってしまったようだ。
わたしも、人生の半ばをとおりこし、定年までのカウントダウン間近となり、そして、父をなくし、先輩諸氏が病に倒れ亡くなっていることに直面したとき、気にならないわけではない。父の葬式のために、今までは全く知らなかった、自分の家の宗派について調べた結果、浄土真宗門徒?であったようだが、父も、宗教的なことには関心があるほうではなく、法事のつきあいだけだったため、息子たる私には、なにも教えるというか、伝えることもなく逝ってしまったため、葬式関連のノウハウ本から始めた。つまり、自分から、宗教、宗派を選んだわけではなく、家がその宗教、宗派だったというわけである。日本においては大部分の葬式は仏式でおこなわれることから行くと、大部分は仏教徒であるはずだが、正月に初詣を行うのは、圧倒的に神社が多いのではないだろうか。宗教というのは、社会を形成する単位であり、宗教や宗派に属するということは、その社会に所属するということになる。神道からみると、血縁地縁集団である氏や地域ごとに様々な神がおり、その祀る人が、政を行っていたわけだが、古代日本では、その集団や地域を組み込んでいくということは、その神々を取り込み、征服者の神がその上位につくことであり、元々の信仰を否定していたわけではなかった。日本以外では、1神教がいつのころか、宣教を行い背教を求める排他的なものに変わっている。キリスト社会とイスラム社会での対立は、宗教に対する不安感を日本人に与えているのではないか。カルト教団など、暗の面ばかり見えてはいないだろうか。