matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

政権交代


自民党総裁に福田ジュニアが決定したとのこと。
これは、総理大臣になることと同義であるが、奇しくも父親と同じ歳にての就任である。
戦後最長の官房長官在任期間とはいえ、その他には主要ポストも経験せずに総理総裁までのぼり詰めたのは、やはり2世だったことがその大きな要因だったことには違いあるまい。
ただ、17年間のサラリーマン生活を経て、政治家になっていることには、肯定的な印象を感じる。
実父の赳夫氏は、1978年 10月23日、訒小平副総理を日本に迎え、「日中平和友好条約」に調印している。

隣国でありながら中国は、日本人にとって、実体が解らない国でもある。
日本では、年金問題、介護や医療などなどが昨今の話題であるが、さて社会主義国家である(だった?)中国はどうか。

北京―皇都の歴史と空間 (中公新書)

北京―皇都の歴史と空間 (中公新書)

この本は、北京の歴史と現在を伝えてくれる。
中国には、国として年金制度も医療制度も整備されていなかった。
「単位」、それは、国営企業であったり、政府機関であったりしたのだが、国ではなく所属する組織が、住宅から福祉まで提供していたのであり、年金などの老後支援も「単位」である。そして、単位に所属できるのは、都市戸籍を持っているひとだけであり、農民にはその単位に所属することはできない。
そもそもの「単位」の起源は解放軍の国共内戦時代にあるようだ。
正規軍ではない解放軍は、自給自足であり、組織はその構成員の家族を含む共同体であり、組織がすべての行政サービスに相当することを供給しなければならなかった。
これは、広大な国土がある中国においては自然なことかもしれない。
軍閥というか、軍隊を維持していくには、現地調達で自給していかないと遠征ができず、征服地において永続的な支配ができない。戦いに勝つことよりも、集団として存続していけるかが重要なのだ。三国志の世界では劉備らが蜀の国にはいるまで、軍隊として放浪をしていくのだが、民というべき集団をひきつれているのが描かれている。農民以外の民衆はどの集団、組織に所属するかであり、どこの土地に定着するということではないのかもしれない。
中国では、都市戸籍と農民戸籍があり、住むべき地域まで限定されてしまっている。

日本では、定着の歴史であり、その土地に定着した武装農民が武士となり、地頭となり貴族や皇族、寺院の所領とすることにより自分の土地を守っている。荘園とよばれている私有地の実際的な経営者はその土地にいた。支配者がかわっても民は変わらないし、移動しない。日本人は組織ではなく地域に所属していたのかもしれない。それが、現代では、もはやその縛りが希薄になっている。
終身雇用が崩壊した今、社会としてその仕組みを整備せざるをえない状況でもある。

いま、アジアは日本、韓国そして中国と高齢化社会に向かっている。