matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

独裁者


先日、独裁者を特集したTV番組があった。
そのなかで、民主主義ではない良い点が独裁にもあるという論調があった。独裁を望むのは結局、民衆というか集団の総意になりやすい。
サイレントマジョリティと呼ばれる、個々には力を持ち得ない存在は、より強いリーダシップを望み、力がある者は権力を求めるのかもしれない。
しかし、それは、「良いこと」なのだろうか。
フセイン大統領亡き後のイラクの原状や、ソ連崩壊後の混乱、チトー没後のユーゴ解体など共産主義国家の崩壊は社会不安を起こしている国々が多い。
それは独裁者が不在が原因なのだろうか。
真の原因は、その国家に民主主義体制ができていないことではないだろうか。
民主主義を維持するためには、社会の安定が必要である。
そのためには、社会に対し統制が必要となり、その統制が独裁体制が保持することは確かである。しかし、その統制と安定が民主主義にはなりえない。
アメリカ合衆国大統領制というのは、強いリーダシップを実現しながら独裁体制への対策ができている。大統領の2期という限定が、独裁体制の恒久化防止となっている。また、その三権分立の仕組みも抑止策となっている。
日本の議院内閣制は、立法権と行政権を政権政党が同時に得ることが多いのである意味では、行政権のみであるアメリカの大統領より権力が大きい。アメリカ大統領の権力の強さはアメリカの国力の強さであり、制度的な比較でいけば、日本の内閣総理大臣の権力が大きいとさえ思える。
しかし、その存在基盤は、立法権を持つ議会であるが故に、議院選挙の結果に左右されるが、アメリカの大統領は、議員選挙ではないため、最悪、議会の支持なくても存続ができる。
日本の総理は、政権政党の議員からの支持を得るために、人事としての見返りを提供しなければならないケースとなり、結果として、どうしても、指導力
減じられてしまう。

秀吉神話をくつがえす (講談社現代新書)

秀吉神話をくつがえす (講談社現代新書)

この本は、秀吉が英雄というより独裁者であった面を取り上げている。
秀吉が行った、政策や軍事行動はあきらかに独裁者であったが、秀吉神話は、彼を英雄として人気が高いのはなぜだろうか。
軍事的な手段や経済政策がかれをトップになれた要因であり、大衆の支持が彼を権力の頂点にいたらせたのではないことだけは確かだ。
しかしながら、民主主義は、多数派すなわち大衆の支持によって独裁者を生み出せる面もある。