matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

能力に応じた負担、必要に応じて受益


日本の経済―歴史・現状・論点 (中公新書)

日本の経済―歴史・現状・論点 (中公新書)

上記の著作によれば、

  • アメリカでは日本より大きな政府
  • 日本の公務員比率は低い
  • 高齢化社会になっても、現役世代の比率は変わらない、少子化は扶養家族減
  • 公的負担が減れば私的負担が増える
  • 日本は、個人課税は軽い、法人負担も軽い
  • 日本の空洞化は起きていない

高齢化社会となり、現役世代の高負担となり福祉政策は破綻する。
もはや、国はあてにできない、政府は最小限とし、税金などの公的負担を軽減し自己責任で対処すべきだという論議になりやすい。

はたして、そうなんだろうか。
公的負担が無くなれば、私的負担は増える。
介護、医療、老後の生計、すべては誰にでも必要なことだ。
子供がいない人生を選択、あるいはならざるをえない人は増えるかもしれない。
しかし、親がない人間はいない。
親の心配をしない子供もいるかもしれないが、そうではない人が圧倒的に多いのではないか。少子化は、自分の子供に面倒見てもらえなくても、親の心配をしなければならない人が増えることでもある。介護保険や医療費削減は私的負担を確実に増大させる。
公的負担による福祉は、助け合いは社会として効率的なことだ。

アメリカの医療制度では、国民皆保険は実現できておらず、企業に属する一部の人だけが高度医療行為を受けることしかできない。
大学を卒業するためには、年間数百万のコストがかかり、そのチャンスはすべてのひとにあるわけではなく、複数世代に渡ってようやく高等教育をうけル事によって成功を勝ち得る状況。

失われた10年グローバル化など、
「改革なくして成長なし」
改革とは、格差拡大となる競争社会の実現と自己責任と称する福祉政策の切り捨てである。
公的負担を増やしてでも、現在の水準を維持するべきであるし、それは可能ではないだろうか。日本経済には、それだけのキャパがあり、安定社会を形成することにより安定した経済を形成することにもなるはずだ。
課題は、高負担であることではなく、公平な負担と受益ができる体制、制度である。昨今のコムソン、年金問題は制度の不備というよりも、執行の不備ではないだろうか。お金を扱うという行為は、税務や郵便での金融など政府機関で確実に行ってきた実績があるはずなのにそれが、厚生省の組織にはなにもないようだ。

失われた10年は、政策の失策の結果でもある。


ニッポンの縁起食―なぜ「赤飯」を炊くのか (生活人新書)

ニッポンの縁起食―なぜ「赤飯」を炊くのか (生活人新書)

日本人として、誰もが四季の中で行う年中行事を行え継承できる社会でありたい。