城跡はいっぱい
復興天主のみならず、城跡は数多くあるようだ。
下記、本によれば、滋賀県で1300箇所以上あり、全国都道府県で5万を越えるとのこと。
本当にゴマンとあるようだ。
- 作者: 小和田哲男
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2007/06
- メディア: 新書
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (14件) を見る
「城」と書いて、「き」とか「しろ」と読むのだが、
「き」が、
関、堰、牧、垣
つまり、柵があることらしい。
母親の実家は、山奥の山村だが、その近くの山は「城山 しろやま」と言う。
戦国時代には、村々に防御施設としての「城」があったようだ。
http://d.hatena.ne.jp/matsuok/20070310
村という単位で自治をおこなうということは、治安面でも武力的手段が不可欠だったはずだ。武士という階層の原点かもしれない
http://d.hatena.ne.jp/matsuok/20060914
考えてみれば、城とは非難場所であり、そこに篭ってしまえば、野戦と違って人的被害を最小限にすることができ、場合によっては戦闘行為自体を避けることもできる。あるいは、戦闘地域を城周辺に限定できるかもしれない。
戦国時代には、戦は収奪のいわば合法化であり、自国内ではなく他国にて戦うことが損失を避け、利益を得る経済活動ともいえないか。乱取りと呼ばれる略奪や人さらいなどの”乱取り”は当たり前のように行われ、そしてその乱取りがなければ、戦自体ありえなかったとも言われている。
慢性的な飢饉への対応は他国への戦が解決策としての選択肢だ。ただし、勝てればの話だ。
いかに勝ち戦に参加するかというのが、最大の関心事だから、風見鶏になるのは当然のことなのだろう。ムラとしての利益を守ることと領主に従って戦に出て行くことは、矛盾しない。
しかしながら、戦国大名の成立は、兵農分離を実現しヘゲモニーの争奪に変化していく。天下布武である。郷土防衛ではなく、領地拡大が目的となったとき兵農分離が推進されたのではないか。