matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

消え行く風景


先週、久しぶりに母の実家に行った。法事である。
祖母が亡くなって10年以上経ったことからみて、かなり久しぶりである。
母の実家は山間部の山村である。村の主産業は林業と建築業であり、亡くなった叔父が木造住宅の建築会社を経営していて製材所もある。子供の頃はすれ違いもできなかった道も整備され、車で1時間もあれば訪れることができる。山間部に住んでいても、十分に仕事ができるので、江戸時代から続いている家は健在だ。この村では、縄文時代の遺跡もあり、古代から営々と続いている。
子供の頃は、母に連れられて長距離バスで行った。バスも、国道しかとうらないため、わき道にはいってからは、村の万屋で車にのせてもらうか叔父に迎えにきてもらったものだ。
その実家は、谷間の山沿いに家が建ち、近くには城山という名の山があるところをみると昔は、山砦でもあったのだろうか。母の子供の頃には陣笠と槍も倉庫にあったそうだ。トイレというか便所は、母屋とは別棟にあり、小学生の低学年の頃は、桶に板が渡してあるが納屋であり、やたら広いのだが、そこで用をたすのは、あまりにも怖く、できる限り行かない。夜なんて絶対いけない。
しばらくして、セメント作りの公衆トイレのような建物に変わったが、なにせ山奥なんで汲み取りにくる期間が異様に長いらしく、いつもいっぱいだった。
それが、いまでは下水ができ、水洗になっているところは、公共事業が行き渡ったおかげだろう。都会の人は、地方のバラマキ行政というかもしれないが、民間の力では実現できないことだ。道路は生命線である。
その村も平成の大合併のおかげ?で、いまや、「市」である。
現在、その地区(元の村)での市会議員の定数は1しかない。亡くなった叔父も村会議長も勤めたことがあったはずだが、もはや行政単位になっていない。心なしか整備されていた道路のメンテナンスが悪化している感じ。
子供の頃との印象の違い

  • 木が増えている。昔、畑や田んぼだったところに植林されている
  • 川の水が少ない。子供の頃は飛込みした谷間の川が異様に浅い。下水道整備で流量が減っているとのことだが、山の保水力が減っているような感じもする
  • 数少ない自家用と思える畑の周りに猿除けのアミがあった。むかしは、そんなものが無かったはずなので、猿が人里に降りてきた、いや人が減って木が増えて森や林が広がっているということなのだろう
  • やはり家が減っているし、人気の無い家が多い。山の中腹にある集落の墓参りをしたのだが、昔に比べて明らかに墓の数が減っている。祭る家が亡くなり放棄されたり、移転したりしているようだ。今回の法事をおこなった住職も、昨今は寺のある村でなく近隣の都市部にて法事をおこなうことが増えて行動範囲は広域化しているようである

山も手入れがされず荒れているかとおもいきや、下草など、それなりに手がはいっている感じであり、昔は人が一人とうれる幅しかなかった道が自動車がとうれる幅に広げあれたりしている。シルバー人材センタの仕事の一環のようだが、いまは高齢者がいるが、10年、20年後はおそらくその人手もなくなるであろう。これだけ、植林がされていても、切り出されることはなく、叔父の会社の製材所も目の前の山の木ではなく、海の港から陸揚げされた輸入材を原木のままトラックで運んでくるのが実情だ。

縄文時代から、営々と続いてきた人の営みが、この100年いや50年のあいだに費えるかも知れない。

いや、このまま少子化が進んだら、日本人自体...どうなるんだろう。