matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

お寺さん


「この木は、ベトナムの檜だな」
法事で久しぶりに会った叔父は、食事をしているホテルの内装を見ていった。82歳になる老大工である。大工といいながら、実業家として小さいが建設業を長年経営を行い、数多くの不動産を所有している資産家でもある。法事にもベンツを自ら運転してきている。甥の自分から見ると、経営者側だが、叔父は宮大工であることが最大の誇りのようだ。寺社建築を数多く手がけている。また住宅建築やアパートなども建築も請け負っているが、その儲けを不動産に投資しつづけてきて今の会社の基盤となっている。不動産の値上がりを期待しているというよりも、家賃や地代収入を目的とした投資だ。どうやら、自分が行いたい建築を行っていくために経済基盤として不動産を所持したかったらしい。そのおかげか土地バブル崩壊にもさほど影響は受けなかったようにも見える。建築会社の社長で、数多くの不動産を所有しているというといかにも成金のおっさんという感じだが、実は堅実で職人気質をもった人だ。
昔から,寺社建築というのは、最高の建築物であり、最新技術を駆使してきたが、中世日本においては、最大の組織体でもあったようだ。寺社を中心として寺内町を形成し、商工業者を抱えた都市を形成していたのは、寺社の所在地のみではないか。江戸時代以降、城下町という地方行政の拠点が各地に発展したが、中世日本においては、寺社こそが人が集まりうる存在であったようだ。行政的な集権が弱まったとき宗教こそが地縁を超える集団形成の要因なのだろう。江戸幕府の三奉行といえば、待ち奉行、勘定奉行寺社奉行であるが、一番の格上は寺社奉行であり、老中へいたるキャリアパスになっていたのも、現在の感覚では奇異に感じるが、江戸幕府以前では、寺社こそが行政側からみると潜在的な脅威であったのだろう。そのために、江戸幕府は、巧妙にも最大の宗教勢力である本願寺を東西の分割し、キリスト教対策として仏教をいわば戸籍管理の行政機構の一部にしてしまった。わたしの家は新家で父も母も仏事をすることもなく、今回父が亡くなって初めて寺との付き合いが始まったわけだが、檀家になっているのは、江戸時代から続いている菩提寺が存続しているかである。人が死ぬときには人知を超えた存在が必要となり、そこに宗教的な存続理由があるようでもある。

寺社勢力の中世―無縁・有縁・移民 (ちくま新書)

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