経営者の歴史好き?
本屋に行くと、所謂ビジネス本が山のように積まれている。アメリカからの翻訳経営本や、ハウツー物などが数多いが、戦国武将物や幕末物も目に付く。戦国武将で勢力が拡大するためには、軍事的な能力だけではなく、その軍事行動を支える経営能力が要求される。組織論や戦略的な発想の実例としてビジネスシーンに重ね合わせるのだろうか。
近代戦以前、最大の軍事兵器は人間そのものであり、いかに戦闘要員を確保し維持するかにつきる。軍馬も人も、それを維持するのは食糧である。
戦闘があろうがなかろうが、それを維持するためには毎日の食べるものが必要であり、それを生産し保管する必要がある。それは土地であり、それを維持する人手が必要なのだ。軍事力を保持し強化するためには、領地を拡大するか、耕作可能な土地を広げるしかないのだ。戦上手だけでは、軍隊を維持し強化することはできない。
戦国時代というと、破壊のイメージしかないが、実は高度経済成長時代の面もあったようだ。全国で金銀の採掘が拡大し、海外との交易が盛んになっている。堺や博多では、商人による自治組織が発生し、国人という開拓者の子孫が大規模農業経営者となり、戦国大名も地域開発を行っている。
山本七平の武田信玄論―乱世の帝王学 (角川oneテーマ21)
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江戸時代も、綱吉の頃までは、インフレ的な経済成長が続いている。
戦国時代が終結し、中央集権的な政治勢力ができたことにより、貨幣や度量衡など経済活動のドメインがクニ(地方)レベルから天下(日本)に広がっている。軍事行動を行うことがなくなり、その余力は新田開発などにより生産性が向上し、城下町の建設や城など土木事業の推進は経済効果をもたらしたはずだ。
徳川吉宗の享保の改革は、成長路線から低成長(停滞」)路線への変化であり、経営的には合理化を進めたものだ。
今の経済理論からいえば、必ずしも改革といえるのか、私は疑問を持っている。徳川幕府の経済基盤を確立したという意味では幕府という組織基盤を改革したかもしれないが、日本経済など当時の日本全体からみれば、マイナスではないかと思われる。
吉宗は、米将軍と呼ばれ、米を基盤としていた幕府にとっての屋台骨を支えるためには米価を維持することが政治を安定することにつながると認識していたからにすぎない。
綱吉の時代に貨幣改鋳により、マネーサプライズを増加させ、インフレ的な好況を呈していたのを、デフレに移行してしまっている。吉宗の時代に年貢、いわば徴税手段としての改善を成功させ、幕府の経済基盤を強めたが、出す側からすれえば、デフレ化での増税にすぎない。
吉宗の重大な関心事であった、米価を安定するのに最大の効果を発揮したのは、貨幣改鋳の再開以後であることは、現在の経済理論からいえばもっともなことだが、経済政策が江戸幕府を200年を超えて維持した主因ではないことを示す気がしてならない。
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幕府は、将軍というブランドイメージを維持することが、現状の施政体制を保持する最大の戦略だったのだ。
平和が長期化することにより、朱子学や国学などの奨励が結果として、将軍より大きなブランドである天皇に気づかせたことが、幕府崩壊の始まりだったかもしれない。