matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

日韓関係について 断韓してその影響を歴史的に考察

現在、対韓国とは貿易相手として
2018年輸出総額 [8,148] 3位 579(7.1%)(単位:100億円)
2018年輸入総額 [8,270] 5位 355(4.6%)

輸出相手先としては、ここ数年は不動の三番手ではありますが、二番手アメリカの1/3です。
確かに大きな市場ではありませんが、けっして影響がないとは言えないでしょう。

 

過去、日朝貿易としては、弥生時代に入ると、大陸からの青銅器や鉄器の入手が盛んになる。日本では鉄鉱石からの製鉄が始まるのは6世紀後半、銅鉱石からの製銅が始まるのは7世紀であり、それまでは朝鮮半島中南部加耶を中心に産した鉄や銅が原料として用いられた。紀元前4世紀中頃には、玄界灘の有力者の副葬品に朝鮮半島製の青銅の鏡や武器が用いられている

日本で鉄生産ができなかった時代、朝鮮からの鉄の入手できる日本国内勢力が国内でヘゲモニーをえることができた。朝鮮との交易が権力の源泉となり、倭国統合化を促したとも言える。
また、朝鮮の三韓分立などの統一以前の乱立状態では、日本に期待されたのは各勢力からの軍事支援期待であり、亡命先にもなりえた。朝鮮半島での支配層の交代期には多くの帰化人という移民の受け入れ先となった。

大陸の品を入手するために、日本側では海岸で生産した塩、そして稲や生口(人間)を送ったとされる。
ヤマト政権頃までは、交易相手としては付加価値物はなかった。

日朝貿易により本格的に日本にもたらされた木綿は、肌ざわりがよくて暖かく、じょうぶで染色しやすいといった特徴をもち、軍衣(ぐんい)・船舶の帆(ほ)などの軍需品として利用され、まもなく庶民にも普及していった。

日常衣料が麻(あさ)から木綿へと転換していった事態を、衣料革命と呼んでいる

江戸時代以降、日本各地で木綿を生産し、第一次世界大戦(1914~1918)戦場となったヨーロッパの連合国向けのさまざまな軍事物資や、ヨーロッパが退散したアジア向けの綿糸・綿織物などの輸出が目覚しく伸び、国内景気も良くなり、輸出が輸入を上回るようになりました。

江戸時代における日朝貿易は、別名「人参貿易」として知られていたように、朝鮮から薬種の一つである朝鮮人参を多く輸入し、その買入資金として多額の銀を毎年支払っていた。
その後、享保年間に吉宗によって朝鮮人参の国産化が進められると、「人参貿易」の意義は相対的に低下していく。

中国、高麗や李氏朝鮮での高度な陶磁器は、輸入品目であったが、秀吉による朝鮮出兵の結果、多くの陶工人を連れ帰った事により、国産技術に取り込んだ結果、江戸時代には出島経由で欧州への輸出物産とした。

かつては、朝鮮が付加価値の高い加工品を輸出し、日本は原材料や人を輸出していたが、江戸時代までには朝鮮に依存するものは減少し明治以降逆転した。

朝鮮半島との交流

日本列島では、ヤマト王権の成立前には邪馬台国のほかにも九州北部の奴国や伊都国、瀬戸内海では吉備氏が半島と貿易をしていた。3世紀には倭国は倭錦や真綿などの絹製品や九州北部の穀物を輸出し、朝鮮半島からは加耶で産する鉄が輸出された。『魏史』倭人伝には、3世紀頃に壱岐島対馬が市糴(穀物貿易)を南北で行なっていたと記述がある

朝鮮半島からは工芸品や技術者、倭国からは兵や軍船、武器、穀物、繊維品が贈られた。朝鮮半島から日本列島に来た渡来人には工人もおり、4世紀に帯金式甲冑、4世紀後半に馬具が製作されるようになり、農具や工具も輸入された

 

飛鳥時代奈良時代平安時代

日本からの輸出品は繊維製品((あしぎぬ)、真綿)、鉱物(銀)、油の大きく3種類に分かれていた。これらは国内で納税されたものが中心で、のちに和紙や砂金も加わった。いずれも素材としての質を評価された品物であり、物品貨幣としての面を持っていた

渤海高句麗の後継国家)

渤海は薬用人参や毛皮、麝香などを輸出し、日本は絹・綿などを輸出

私貿易の増加と新羅

9世紀中頃以降には青磁を中心とする陶磁器の輸入が増加した。

平安末期から鎌倉時代にかけての日本の主要な輸出品は、木材と硫黄だった。硫黄は、宋の時代から兵器としての使用が増えた火薬の材料であり、中国より硫黄の産出が多い日本は日明貿易に入っても輸出が続いた。その他に砂金や日本刀などが輸出されている

日麗貿易、日朝貿易
11世紀から高麗と貿易が続いており、貿易のために日本から高麗へと渡ったのは、対馬の人間がもっとも多かった。日本は真珠、刀剣、水銀、柑橘類などを輸出

倭銀と貿易

古代からの鉱脈だった石見銀山が16世紀前半に再開発されて、対馬壱岐を経由して博多や朝鮮半島へ鉱石が運ばれた。
当時は銀が国際的な貨幣であり、日本の銀は倭銀とも呼ばれて日明貿易や日朝貿易、南蛮貿易における重要な輸出品となる。朝鮮では銀を木綿布と交換して船舶の帆布や衣料品となった。

日朝貿易と倭館

日本からの輸出品は銀、朝鮮からの輸出品は木綿布だった。

奴隷貿易と乱妨取り
戦国時代以降は、雑兵たちが乱妨取りで捕らえた捕虜を人買の商人に売り渡すようになった
文禄・慶長の役では、朝鮮半島で日本軍による奴隷狩りが起きた。人買商人が朝鮮半島へ渡り、日本の名護屋港を中心に捕虜が運ばれた。秀吉は朝鮮半島での人捕りを禁じる一方で、大名に対しては、捕らえた朝鮮人から優れた技術者や女性を献上するように命じた。

江戸幕府の貿易政策

幕府は貿易に加えて正式な外交関係がある通信国と、貿易のみの貿商国を区別した。通信国琉球王国や朝鮮であり、貿商国は明や清、ポルトガル(南蛮)、オランダ・イギリス(紅毛)だった

貴金属の流出対策
江戸時代の日本は貴金属の輸出国であり、貴金属は他地域でも貨幣として流通した。輸入超過が続くうちに支払いによって国内の金、銀、銅が減少した

輸入代替
幕府は貴金属の流出対策として、輸入が多い品物の国内生産も試みた。8代将軍の徳川吉宗は砂糖や朝鮮人参の国内生産を成功させた。

江戸時代以前の医療においては漢方薬が使われることが多かったが、その材料を輸入に頼ることが多く江戸時代に入ると、医療が民間にも普及するとともに漢方薬の原料となる薬草・薬木の需要は高まり徳川吉宗享保年間以降、薬園の充実を進めて対馬藩経由で朝鮮から取り寄せた朝鮮人参の種を用いて朝鮮人参の国産化を図る

貴金属の輸出
オランダはポルトガルにならって中国産の生糸などを日本に輸出し、日本は金や銀で支払いをした。当時の日本には貴金属にかわる主要な輸出品がなかったために金銀の流出が続き、日本が銅の輸出に切り替える

工芸品、食料品の輸出

朝鮮は中国産の生糸や、薬用として重宝された高麗人参を輸出して、日本は慶長丁銀で購入した。やがて日本は銀の不足によって、銀の含有率を低くした銀貨を用いるようになる。朝鮮では含有率が低い銀貨の受け取りを拒否して高麗人参の輸出が中止となり、幕府は対策として高麗人参専用の銀貨である人参代往古銀を発行した

日清戦争と朝鮮の植民地化

日本の業者は朝鮮商人の客商に資金を提供して穀物を買い集め、朝鮮では米不足と米価高騰が起きて生活を圧迫した。日清戦争で清が敗北すると、朝鮮は清への朝貢を終え、日本は朝鮮の植民地化を進める。朝鮮の輸出の80%から90%、輸入の60%から70%が日本向けとなった

www.jftc.or.jp

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3.日本の主な貿易相手
日本はどのような国・地域とたくさん貿易をしているのか

1990年輸出総額 [4,146] 3位 252(6.0%)(単位:100億円)
2000年輸出総額 [5,165] 3位 331(6.4%)
2010年輸出総額 [6,741] 3位 546(8.1%)
2018年輸出総額 [8,148] 3位 579(7.1%)2位 アメリカ1,547(19.0%)

1990年輸入総額 [3,386] 5位 169(5.0%)
2000年輸入総額 [4,094] 3位 220(5.4%)
2010年輸入総額 [6,076] 6位 250(4.1%)
2018年輸入総額 [8,270] 5位 355(4.6%)

日本の主な輸出入相手国:韓国 | JFTCキッズニュース

 主な貿易相手国・地域と貿易額
輸出
輸出総額:5,736億9,400万ドル[2017年]
国名/貿易額/(シェア)
・中国 1,421億2,000万ドル(24.8%)
アメリカ 686億1,000万ドル(12.0%)
ベトナム 477億5,400万ドル(8.3%)
・香港 391億1,200万ドル(6.8%)
日本 268億1,600万ドル(4.7%)
・オーストラリア 198億6,200万ドル(3.5%)

輸入
輸入総額:4,784億7,800万ドル[2017年]
国名/貿易額/(シェア)
・中国 978億6,000万ドル(20.5%)
日本 551億2,500万ドル(11.5%)
湾岸協力会議GCC)諸国 527億3,600万ドル(11.0%)
アメリカ 507億4,900万ドル(10.6%)
・ドイツ 197億4,900万ドル(4.1%)
・オーストラリア 191億6,000万ドル(4.0%)

日本の対韓国貿易
輸出
輸出総額:551億2,500万ドル[2017年]※( )内はシェア
半導体製造装置(10.4%)、半導体(8.5%)、プラスチック製品(4.3%)、鉄鋼版(4.2%)、フラットパネルディスプレー製造装置(3.7%)など

輸入
輸入総額:268億1,600万ドル[2017年]※( )内はシェア
石油製品(11.4%)、鉄鋼板(7.9%)、半導体(4.4%)、自動車部品(3.5%)、精密化学原料(3.1%)など

出典:外務省HP、財務省貿易統計、ジェトロ世界貿易投資報告(2018年版)、日本政府観光局(JNTO)より

 

http://対馬藩と人参貿易:田代和生『近世日朝通交貿易史の研究』(1981)

  江戸時代における日朝貿易は、別名「人参貿易」として知られていたように、朝鮮から薬種の一つである朝鮮人参を多く輸入し、その買入資金として多額の銀を毎年支払っていた。その貿易の独占していたのが対馬宗家であり、そのため幕府に対しては強気な態度を取ることが出来たし、幕府側も朝鮮人参の重要性から対馬藩には最大限の配慮をおこなっていた。

その後、享保年間(1716?1735年)に吉宗によって朝鮮人参の国産化が進められると、「人参貿易」の意義は相対的に低下していく。

 

日朝貿易

 室町時代の日本と、朝鮮王朝との貿易。
 李成桂は朝鮮建国に伴い、倭寇禁圧を日本に要求、当時南北朝を合一(朝鮮王朝の成立と同じ1392年)させ、統一権力を握った室町幕府足利義満もそれに応えたので、倭寇(前期倭寇)の活動は急速にやんだ。こうして14世紀末から約1世紀間、日朝貿易が展開された。日本側では対馬の宗氏が幕府に代わってその統制にあたった。朝鮮には日本の使節を接待するためと貿易のために倭館が三浦(さんぽ=富山浦・乃而浦・塩浦)におかれた。この間、1419年には応永の外寇(朝鮮側が倭寇の再発を恐れて対馬に来襲)で一時中断したが、15世紀の間続くこととなる。16世紀にはいると朝鮮王朝の貿易統制が強まり、それに反発した三浦(さんぽ)に居留していた日本人が反乱を起こすという三浦の乱が起こり、日朝貿易は衰え、後期倭寇が活発となる。

日朝貿易の貿易品

日本からの輸出品は、銅、硫黄などと、琉球王国から得た南海の産物である胡椒、薬種、蘇木(赤色染料をとる蘇芳(すおう)の木、香木など。輸入品は綿布、木綿、朝鮮人参、経典(印刷された大蔵経)などが主であった。日本に木綿が伝わったのもこのころ朝鮮を通じてであった。

 

ameblo.jp

 

日本からの渡航者が増えると、朝鮮(李朝)は対馬(つしま)の宗氏(そうし)を通して統制を強め、次第に対馬の宗氏による日朝貿易の独占が進行していった。

日朝貿易における輸入品

日朝貿易における輸入品の代表は木綿(もめん)で、それは人々の生活様式に大きな影響を与えた。

木綿という言葉は、綿花(めんか)・綿糸(めんし)・綿織物(めんおりもの)いずれの略称としても使用される。

日朝貿易により本格的に日本にもたらされた木綿は、肌ざわりがよくて暖かく、じょうぶで染色しやすいといった特徴をもち、軍衣(ぐんい)・船舶の帆(ほ)などの軍需品として利用され、まもなく庶民にも普及していった。

日常衣料が麻(あさ)から木綿へと転換していった事態を、衣料革命と呼んでいる

 

ja.wikipedia.org