matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

昭和33年


私が生まれた年が昭和33年です。
最近この年が結構注目されているのか、映画ができた。
「ALWAYS 三丁目の夕日
高度経済成長がまさに始まろうとしている、ターニングポイントなようだ。
私の世代は、所謂団塊の世代と、団塊ジュニアに挟まれた世代で、団塊の世代を収容するために小学校校内の体育館を仕切って仮設教室があったり、それが卒業するころには、その教室も開き始め、マンモス学校だったはずが、校区が分割され、間近な自分の出身校に自分の子供を通わせられないという世代である。
日本の高齢化社会の最大の問題は、各年齢層がアンバランスなことであり、平均寿命が延び、出生率が低下していることはけっして悪いことばかりではない。そのアンバランスの原因は太平洋戦争であり、戦後50年以上経った今、そしておそらく、今後50年影響を及ぼす。戦争による国土や産業は壊滅的な被害だったが、戦争を知らない世代にも高齢化社会、人口減少社会として大きな影響を残しつづける。
2007年問題とは、戦後生まれの世代の大量リタイアにともなう影響のことだが、現実的には戦争を知らない世代がもはた社会の担い手であることでもある。それは日本のみならず、アジア地域もしかりである。しかしながら、アジアにおける反日感情や、日本でも中国や朝鮮半島地域にたいする違和感はより広がっている感がある。

昭和33年 (ちくま新書)

昭和33年 (ちくま新書)

日本人の

  • 昔は良かった症候群
  • 未来心配性

というのを論じているのが興味深い。
著者は団塊の世代の方だが、最近の2007年問題議論のなかで、「最近の若者は」的な責任を、団塊の世代の教育や過去責任を問うような内容に対する反発のような印象もうけてしまう内容でもある。

昔を思う時、ノスタルジアを感じてしまうのは、日本人でなくとも生ある者の性であろう。デコボコはあるにせよ、それなりにであるが、人類をとりまくことは決して悪化しているだけではない。自分が小学生の頃、世界の人口は30億であった。いまや、その倍の人口を地球は抱えている。
自分は、中流かどうかは分からないが、平均的な、所謂最大比率の層に属していると思いますが、生活状況は格段に良くなっている。平和と文明と技術がそれを可能にしている。
自分の幼少時代の写真は白黒であり、家は一戸建てだが、平屋で風呂は薪で焚き、トイレは汲み取りだった。冬になれば、室内にいても息は白く、夏は窓をあけて蚊帳のなかで寝ていた。自家用車なんてとんでもなく、移動は歩けるところは必ず歩き、そうでないところは、バスや電車の公共機関を利用した。
いまや、自宅には2台の自家用車と、気密性の高い住宅で、ストーブやエアコンがある。風呂は、ボタンを押すだけで、お湯がでてくる。
当時、電話を引くためには、債権を買い、数年の順番待ちで近所の電話を引いている人に呼び出してもらうのが普通だった。いまや、携帯電話が子供まで所持している状況だ。
祖父や祖母は寝たきりや徘徊のボケ老人など在宅介護の悲惨な状況は当時のほうが顕著だったが、兄弟が多いが故にそれがいまほど目立たなかっただけである。わたしの両親は8人兄弟と5人兄弟の環境である。親の看護をするのは長男の嫁だけであり、そうならない確率のほうが高かった。
いまは、介護保険以後、デイケアなど社会としての対策ができてきた。今後は、それをいかに維持していくのかというのが問題でもあるが。

結局は、今はそんなには悪くない。だからこそ、いっそう将来に不安を感じる。
これからは、どうなんだろうか。
いままで良かったから、これからも良いとは限らない。
平和でありさえすれば、変化に追随できればよいのだが、たしかに不確実な未来を心配していても仕方が無いのかもしれない。

でも、健康管理だけが将来に対する必要な対策ということか。