matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

世界大恐慌との違いは?


100年に1度の不況といわれています。では、前回の不況はいつかというと、1929年からの世界大恐慌となる。そのときと何が違い、なにが同じなのか。

世界大恐慌――1929年に何がおこったか (講談社学術文庫)

世界大恐慌――1929年に何がおこったか (講談社学術文庫)

1920年代、アメリカは未曾有の好景気のなかにいた。それは永遠に続くと思われていた。そして、1929年暗黒の木曜日、株価の大暴落とともにその後10年以上に及ぶ大恐慌の時代が始まった。
アメリカの好景気を牽引していたのは、自動車、住宅建築そして公益事業だった。その景気を破壊したのは、巨大な投機の破綻だった。

はたして、それが原因だったのだろうか。実は投機の過熱によるバブル崩壊は結果であり、実体経済の限界の結果だったようだ。第1次大戦後、荒廃し疲弊していた欧州経済の復興は、農業生産の増大と製造業の復活を伴い、その結果、供給過剰となった結果デフレが進行し、アメリカからの輸出先としての市場のパイは縮小していく一方、デフレにより金融資本の投資先として、不動産、そして株式市場に集中した結果が、株価暴落である。
復興による増加する消費と供給の増加は、結果として通貨不足の状態となりデフレになった。経済の通貨は、金本位制が基本であり、世界大戦という事情から兌換紙幣としての通貨が一時的に中断され、ハイパーインフレとなったドイツ経済など、各国は金本位制への復帰という財政緊縮の政策に舵を切った。しかし、実体経済は消費増大とそれを対応できる供給力の増加は、通貨不足となり、お金の価値が増大することにより不動産投資や株などの証券投資へ流れたのだ。
財政破綻への恐怖は財政健全化という美名に流れやすいが、政府自身の財政バランスと実体経済のバランスはかならずしも一致しないところに政策の難しさがある。

享保の改革は、江戸幕府の中興の原因であり、江戸幕府という体制を守った。しかしながら、日本という経済圏の観点から見れば、必ずしも的確な政策を行っていたとはいえない側面を持つ。代表的なものは貨幣改鋳である。勘定奉行荻原重秀の献策による貨幣の改鋳を実施したことを批判し、結果として通貨の供給量を減らすことになり、江戸の初期に大幅な農業生産増加と人口増に逆行した。米将軍と呼ばれるほど物価に関心を寄せたがその原因が幕府の通貨政策であるとは最後まで気が付かず、堂島の米問屋などの投機的なものが起因であると思っていたようでもある。
リーマンショックなど金融の投機的な事件がきっかけとして発生した金融の収縮が、供給過多、在庫増の実体経済を暴き出してしまったとはいえないだろうか。
世界大恐慌は、各国がブロック経済となり、第二次世界大戦の勃発により終結し、戦後の復興により経済成長の時期を迎えることになった。
破壊なくして成長はないのだろうか。