matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

ドクター合理化


昨日、書店でみかけた分厚い文庫本、上下2冊を一挙に読みきりました。
ゴールデンウィークで、前半をC#SDKでの開発を勉強してましたが、2日で疲れ果て、読書に逃げたわけです。

このドキュメンタリの主人公は、真藤恒である。元IHIの社長で、後にNTT民営化を主導し、リクルート疑惑で退陣ということしかしらなかったが、こんなドラマをもっていた人とは思わなかった。
戦後、呉工廠の人材や施設を、外資という形で、エンジニアとしてのパラダイスを築き、その後、IHIの社長として、造船不況のなかで、ドクター合理化とまでいわれ、NTTの民営化を、落下傘降下して成し遂げた。しかし、そもそもは彼はエンジニアであったが、生産工程での改革をなしとげていくなかで、ポリテイカル・エンジニアに変身し、経営者になっていったが、やはり心底、エンジニアだったような気がする。

大和の技術的な成果として、生産管理があったのは興味深い。国家戦争という極限が追求したのは、生産力の戦いであり、少数精鋭は、数の論理であり、技術革新だ。戦後の製造業を中心とした飛躍は、戦時中の軍需体験が生かされているのではと思わせる内容でもある。

昨今、顧客志向ということで、いかに顧客ニーズに合わせるか、供給側の論理のお押し付けでは、成り立たないといわれている。「何を作るか」が、マキシマイズされている。
真藤たちが、変えたのは、「何を作るか」だけを考えていた設計から、「どう作るか」を設計に盛り込むことの転換だ。エンドユーザの軍部の要求仕様を達成するために、必要であれば、要素技術の開発、既存制約のなかでの工夫創意をつくした、設計をおこなっていたのは、帝大出の技官たちだ。図面として提出された、ものを製品として具現化しているのは、職人たちであった。その隔離は、高コスト、保守性の低下につながりやすい。
これは、結局、エンドユーザの要求には明記されていないが、利益にはならない。

トヨタの成功には、生産技術の強さだ。トヨタでは、開発する技術部と生産技術部は対等であり、生産技術からフィードバックされ、設計変更がなされる。生産工程を改善するには、部品数を減らし、組み立て作業がしやすい配置である。それらは、コストを低減し、機構のより単純化は堅牢性を高める。

しかしながら、コスト優位の日本の造船業は、より、低コストな後発な国に追い込まれた。かつて、欧米の競合を駆逐したようにだ。ただ単に製造の効率性の追求は、コスト合戦にすぎない。新たな技術革新なくして、あらたな競争優位は保てない。トヨタは、ハイブリッドをはじめとする技術革新もおこなっている。その両面性が現在の躍進を支えている。