連と臣の違い
蘇我氏と大伴氏は、臣と連の違いがある。
この称号の違いは、外様と身内の違いだと思っていました。つまり、天皇(というか大王)に臣従した豪族というか、統治を共同して行っているのが臣姓の氏であり、大王家に仕える家来が連で役職を姓として持っている。江戸時代でいえば、外様大名が臣で、譜代、旗本、御家人が連ってかんじ。
そもそもは対等の地位にあった豪族や集団同士のなかでヘゲモニーを握った一部の集団が支配側となるが、そうなるとその集団のなかに過ぎなかった力が集団を超えて、他の集団と対等となっていく図式だ。
鎌倉時代では、源氏に仕えていた外戚である北条が執権として実験を握り、その本家たる得宗に使える家来たちが実権を握って御家人たちを実質的に仕切った。内管領といわれたのは鎌倉幕府の執権北条氏の宗家である得宗家の執事で、得宗被官である御内人の筆頭である。これは「得宗の家政を司る長」の意味であり、幕府の役職名ではない。
つまり、連姓の氏族というのは、古代に大王家に征服された氏族ではないかとも思っていました。
物部氏は、大阪の先住民であり、大和王朝に征服され従属させられたものではなかったかと。
- 作者: 畑井弘
- 出版社/メーカー: 講談社
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この本を読むと、「物部氏」というのは、単一の氏族ではなく、「物部」という職掌をになったものたちの氏族群であり、単一、もしくは同種の氏族ではないということだ。「物部」とか「大伴」というのは職名であり、氏族名ではないが、「蘇我」とか「平群」など「臣」姓の名前は、地名であり、氏族名そのものだ。
この本では、鍛冶など金属加工など担ったのが「物部」だと述べているが、大和王朝が日本で集権国家たりえたのは「鉄」の流通経路を握っていたという説が多い。その鉄の源は、朝鮮からの流入である。
最近、韓国ドラマ、それも歴史ドラマにはまっているが、「朱蒙:チュモン」や、太王四神記などである。
これらのドラマを見ていると、朝鮮、特に高句麗は鉄の生産により、その軍事力や経済力をもって国の根幹としているのが繰り返し述べられている。まさしく、鉄は国家なり。
金属を得たことにより、農業の生産性が高まり、国家が形成され、征服を目的とする戦争が始まった印象を受ける。