matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

30数年前の記憶 気象レーダー開発その後

私自身は、そのプロジェクトの途中で離れている。基本設計とハードインタフェース試作装置との接続試験を終了して、一緒に開発していた後輩に引き継いだ。
レーダー実機との総合試験は1年先であり、総合試験に立ち会うという条件付きで離任し、Jターン理由で転勤が主理由である。

その後、引き継いだ後輩からの問い合わせもなく、翌年の総合試験に立ち会いしたのだが、完全に部外者扱いであり、発注先担当からは、慰労も苦情もなく終わった。仕事なので別に感謝されたいというわけではないのだが、完成の実感を共有出来なかったという思いが残った。

自分だけの憶測

  • 1年の間に仕様変更がそれなりにあり、もはや初期のみ関与した人間には期待できない
  • 引き継ぎ者が、そのまま担当・試験しているため必要が無い
  • 完成時点で問題が発生しなかった/既に実質的に終了していた
  • 基本設計に不満足

最後の憶測は以下の状況

  • 離任後、委託先の会社(当時の私の所属会社)に別プロジェクトなどビジネスが継続=最初の発注である気象レーダー開発に満足
  • 別プロジェクトの弊社(当時)エンジニアとは非常にフレンドリーかつ信頼関係が出来ていた

発注先部門では初のソフト開発外注であった気象レーダープロジェクトは問題なく開発を終えたと思われるのに、なぜ発注先担当者は、私に不満だったのだろうか。

  • 最後まで一貫して担当しなかった
  • システムを発注先OEMニコンで開発
  • キャラクターベース端末、印刷での表示

まあ、途中で離れた時点で部外者と認識されたのだが、離任時に総合試験立ち会いを条件提示したのは発注先だった。当時不安を持たれ、それが不満となるのは心情的に理解できる。まあ自己弁護かもしれないが、結果として当初の予定に基づき、システムが稼働したこと、離任後に後継者からの問い合わせがなかったことからも、問題や課題を残すことなく引き継ぎしたことは、否定出来ないことと今でも確信してます。

おもうに発注先担当は、PCベースのシステムを期待したのではないかと想像しています。

別プロジェクトは、PC(NEC PC9801)ベースのシステムで、表示もグラフィック表示されていた。
当時は、Windows以前の1980年代中頃で、GUIもないが、BASICやCにて、グラフィック画面解像度は640ドット×400ドット8色(RGBそれぞれのオンオフを組み合わせた8色固定パレット、デジタルRGBと呼ばれた)を利用して当時としては高精細かつ高速なグラフィック処理のために、自社製の汎用グラフィックコントローラGDCによりグラフや画像表示が安価に可能になっていた。
ニコンには、別途グラフィック端末が必要であったが、非常に高額であった。
また、拡張ボードの仕様が公開され、ファクトリコンピュータとして、または計測制御機器として従来はミニコンが担当していた分野がPCに置き換わり始めた頃である。
特にPC98は筐体を開けずに抜き差し出来る16ビットのCバスを採用した。幅広く事務用途や工業組込用途に適合するよう、ハードウェア面ではPC-8000/8800シリーズに似たシステム構成を取り、従来のPC-8000/8800シリーズユーザーが取っつきやすいように工夫されていた。

事実、1980年代末以降、PCが主流となり、ミニコンのファクトリコンピュータとして、または計測制御機器としては用いられなくなっている。

結果として、私は時代の最先端ではないミニコンベースのシステムを提案、構築させたことになる。

選択の背景と理由

  • 自分のソフトウエア開発はメインフレーム・ミニコンで始まっていた経歴
  • 大型で高信頼性が重視されるシステム構築に参画してきた経験
  • 計測制御機器のハードウェア技術者との協働経験が無い
  • 他社の先行開発済みの気象レーダーシステムはミニコンベースであり、相当機能を発注時には要求されていた
  • 発注先担当は、ハードウェア技術者でありソフト開発経験が無く、ソフト面では、私に全権委託されていた(前提条件は気象庁RFPであり、実装要件は無い)
  • 当時のPC対する耐障害性信頼性が確信できない
  • 継続的な部品確保など長期に渡る保守性の確保・維持、とくにPCでは技術サイクルが短期間であり、コンシューマ製品の保守保証期間も短期

検討時、発注先がコンピュータとして検討していたのは、外資の当時ミニコントップメーカであった。私は、自衛保守可能な発注先OEMニコンで開発を提案、受理され設計・開発を開始している。

私の離任後、委託先の会社(当時の私の所属会社)に別プロジェクトに参加したエンジニアは、PCでの開発エンジニアであり、しかも非常に優秀であった。当時のPCの能力を十分に活用した提案、開発ができる。というかミニコンベース開発は全くといっていいほどないため、pCでの提案しかしない。
結果として、発注先としては、どちらの選択肢を信頼するかは、その後の総合試験立ち会い時の状況で予測できる。

教訓

  • 関わった仕事は最後までやりとおす
  • 常に最新の技術およびビジネス環境に留意
  • 安全志向は必要だが、ある程度のリスクを受容しないと変化に対応できない
  • 成功体験は時には障害になりうることを自覚すべし

後日、発注先がコンピュータとして検討していたのは、外資の当時ミニコントップメーカに転職した。このプロジェクト経験は全く関与していないが、因縁は感じる。