matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

リベラル待望論

2大政党制というと、代表的にはアメリカとイギリスである。共和党民主党、保守党と労働党と所謂保守派とリベラルに分かれている。現状肯定及び維持が保守であり、現状否定及び変革がリベラルといえるだろうか。
イギリスでは、資産資本を持つかあるいはマネージメントや技術的なスペシャリストからなる雇用者側と労働者側にわけられるかというと、アメリカでは単純ではなく、奴隷制度を維持しようとしたのが民主党の源流であり、開放側は共和党の源流担っていて、保守かリベラルというより地域政党の面もある。トランプの支持層は白人の労働者層であり、先端企業の経営者は民主党支援が多い。
変革や改革を声高に保守系の新党と自民党政権交代は、保守系の中の席取り争いにすぎず、政策の変更のための政権交代というより、リーダー選択のみが焦点のように感じる。しかしながら新党側には未だに誰を首班指名するのか不透明なままだ。いったいなんのための選挙なのかやはり疑問を持たざるをえない。
では、保守からリベラルに変えるかの選択をおこなえるかというと、全くその現実感はなく、政権政党政策に対し反対を唱えることのみが目的のように感じてしまう。私が最たる懸念は安全保障に正面からのとりくみ だ。本当に自衛隊を軍隊と認めず存続させていくのだろうか。憲法9条の根本は対外交渉の手段として軍事的手段を放棄したことであり、安全保障としての軍隊を全否定したことにより軍隊すべてを否定することが護憲としていることだ。犯罪や治安維持のための警察の存在を否定した政党はだれも支持しないだろう。特に朝鮮半島の現状をみるにあたって9条などの護憲主張があまりにも幻想的な理念に感じてしまう。
格差の最小化、富の再分配、多様性の許容など現状の変化を目指すのがリベラルの意義であり、国民の過半数がその変化を望むとき託せるリベラル政党が無いことが非常に残念である。
私の亡父は一兵卒として戦争に狩り出され、命をなくすことなく帰国した国土は焼け野原だったことを経験した世代である。父は終生社会党に投票してきたが、それは政策ではなく、反戦という理由だけだった。60年、70年安保闘争、学生の過激派などの戦後世代はリタイアしつつある現在、護憲を声高に存在意義にするのは、リベラルの証なんだろうか。
アメリカやイギリスなどの2大政党制への憧憬から小選挙区制に移行はしたが、結局は中選挙区制時代の派閥が保守系の多数党化しただけで、既存政党ではない新たなリベラルは生まれないのだろうか。