チャレンジ
歴史の結果を知っているので、敗者が負けるべくして負けたような印象が強いかもしれない。
なぜ、北条は秀吉に抵抗したのか。なぜ石田三成が関が原で負けたのか。
関が原で西軍に組した大名は、すべて愚かだったのか。
本当に西軍に勝機は無かったのだろうか。
- 作者: 鈴木眞哉
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2007/09/01
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勝者には必然性があったというよりも、運というか確率的な要因もなかったとは言い切れまい。
しかし、天下を取るには確固たる天下取りへの意志が必要だったと思える。戦国時代は、地方分立の時代であり、国人など地域勢力間での争いであり、下克上といいながら、地域に根ざした勢力が中央からの権威を排除していった結果であろう。今日での政権争いに明け暮れた結果、支配力を消失していくのだから、戦国時代は中央への覇権指向は冒険以外なにものでもなかっただろう。
今川義元、武田信玄など本当に中央への覇権奪取の意図は明確にはあったのだろうか。毛利も北条も、そして上杉や島津にも中央での覇権を狙うのではなく、ひたすらに自己勢力の拡大を図っていった。規模の拡大こそが生き残りの最良の策であった。