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現在の史観というのは、史書や物語などからくるものが多い。
歴史は、勝組のみが語れる場合が多い。中国の史書は次の王朝が前王朝のことを記述している。中国などの歴史書上では、王朝最後の君子は概ね無能か暴虐の限りを尽くすというパターンが多い。禅譲は歴史的必然であり、時代が要求した天命だというものだ。
石田三成という人物像はどうだろうか。
- 能吏だが、それゆえに人の心が解らない
- 事務屋で現場(軍事)は駄目
- 態度がでかい
あまり人間的魅力はなさそうだ。
三成は不正を極度に嫌い、情実も介さず、常に自らの信念に基づいて豊臣政権の行政を司っていた。ところが、そのあまりな謹厳実直な性格が、周囲からは融通のきかない傲岸不遜、横柄な態度と映り、諸大名からの人望を得ることができなかった。
しかし、これらの判断基準はなんだったのだろうか。
石田三成自身は、19万石の大名にすぎない。
その三成は250万石の徳川家康に立ち向かう。
5奉行とはいえ、関が原の合戦の時には、5奉行ではなくなっている。
それにもかかわらず、外様を含む大軍団をまとめあげたのだ。
太閤秀吉亡き後、秀吉の威光を笠に着ているわけでもなく過去の実績の効果とも思える。
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結局、三成像には、名臣・忠臣説と奸臣説が入り混じっている。
その点、信長像に関しては、比較的定説化しているような。
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乱世を静めるには、まず厳しさが必要になる。
恐れられ型としては、足利義教みたい?
最近では大久保利通かな。
そして、その厳しさは倒されて、安定への変化が生じる。
そして太平の世は、なにが必要になるのだろうか。