matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

歴史の史実を、「数字化」

ブルーバックスのラインナップの中でも異色の一冊

エンジニアリングの眼で、ロジスティクス、プロジェクトコントロール、ストラテジーなどの観点から、物理法則に則った数値シミュレーションで検証している。

booklog.jp

蒙古襲来、秀吉中国大返し大日本帝国海軍の敗因--徹底して「数字」を読むことで、歴史にかくれた驚くべき真実が浮かび上がる!

当時の航海、装備、戦法、自然環境等を総合的にサイエンスにより推測すると、蒙古襲来により日本を征服出来る可能性は比較的少なかった。神風ではなく、「奇跡」でもなく、単に蒙古(実態は、高麗軍)側に勝機がない戦い?

陸続きの朝鮮(高麗)を服従させる際にも、モンゴルの侵攻が始まり、海を隔てた江華島へ移徙し3年間も徹底抗戦を行ったため、国土と国民はモンゴル軍に蹂躙され、荒廃した。
結局、30年近くに及ぶ高麗の抵抗のすえに征服。

元寇の主力は征服された高麗(朝鮮)および南宋(中国南部の漢人)の軍隊であり、モンゴル騎馬軍団が主力でもない。

著者プロフィール

父は造船所経営、母の実家は江戸時代から続く船大工「播磨屋」の棟梁。艦艇の設計を夢見て三井造船(当時)に入社、大型船から特殊船までの基本計画を担当、半潜水型水中展望船、流氷砕氷船ガリンコ号2」、東京商船大学(当時)のハイテク観測交通艇などを開発、主任設計。東海大学海洋工学部で非常勤講師を8年間務め、この間、2008年、日本初の水陸両用バス「LEGEND零ONE号」の船舶部分を設計。定年後は船の3Dイラストレーションを製作する「SHIP 3D Design 播磨屋」を主宰。2019年公開の映画『アルキメデスの大戦』では製図監修を担当、戦艦の図面をすべて手描きで作成

2019年公開の映画『アルキメデスの大戦』見ました。

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なるほど、技術屋として共感した背景があったんですね。

羽柴秀吉の「中国大返し」はなぜ成功したのか?

著者は、「中国大返し」が成功するには、十分な準備が必要であり、信長の暗殺クーデター準備がなぜ可能だったかは不明である。秀吉黒幕説には確証もなく事前準備が可能だったか著者は疑問視、故に、山崎の戦いに勝利できたのは、秀吉が他の有力家臣を味方につけた戦略が勝因であり、実際は自己軍団の一部が船を利用した早期の近畿地域への帰還であり、陸路で順次帰還してきた秀吉直下部隊も、疲労または消耗が激しく戦力的に有効だったか疑問視している。

私の個人的見解では、十分な体制が、大返し経路にはできていたと思えます。
信長の気性を知り尽くした秀吉は、毛利攻略の最終局面に信長の来訪・支援を願い出ることにより、上司に花をもたせる場面を用意した。信長は、その要請を受けて、自ら中国に向かうべく、明智軍に中国への派兵を命じ・自分自身も移動中に京都にて宿泊していた。結果的には、その明智勢に殺害されたわけだが。

ゴマすり秀吉は、信長を迎えるためにその道筋には万全のお迎えの準備をしていたはずだ。武田滅亡時、徳川家康は信長のために街道や宿舎を用意し、武田征伐した信忠とは違い、信長は完全に物見遊山だったようだ。

また、秀吉は、援軍である後詰め要請をしていたので、本来は万単位の明智軍を移動してくるため、その移動ルート上の支配地では軍糧などの物資や宿営準備していたはずだ。
「大返し」ルートは、後詰め進行と同一ならば、準備した物資などはすべて利用できたはずである。

秀吉得意の上司ゴマすりにより、明智の「本能寺の変」が可能になり、「大返し」も実現できたことになる。