matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

やっぱり、わからない不況のメカニズム


失われた10年と呼ばれた平成不況の原因はなにか。
小泉改革は成果があったのか。

経済対策は、政治力学に左右される。
不況の原因については、まだ経済学としては確立していない。

上記の本を読んでも、やっぱり解らない。
ケインズ以来、不況対策については、相反する主張が政治勢力により変化し揺れ動いている。
どうやら、需要が供給を下回る時に不況が起きるようだが、需要は経済的理由というよりも政治的な原因に影響をうけている感がある。ケインズ理論によれば、消費と投資を続けることにより景気は保たれるが、消費と投資は人々の思惑により左右される。政治が安定し将来に対しポジティブだからこそ、人々は消費し投資を行う。
政治ができる不況対策は、将来に対する安心感や期待感を維持することであろう。高齢化や少子化財政破綻など、現状の政府は将来に対する不安感をあおることによって政策を遂行しようとしているような気がしてならない。
もちろん、現実を隠した、大本営発表が良いわけではないが、現実の提示とともに将来にたいするビジョンの提示が感じられない。
高齢化にともなう医療費や年金負担など原状のままでは破綻するという現実を提示し、「痛み」ばかりを求めるように取られている。それが将来に対する不安が各個人レベルでの「自己責任」に代表される対策をとらせる。
その結果、どう使われるかわからない公的負担を減らし、個人レベルの貯蓄や投資などの自己責任に変える。しかし、それは、収入の少ない層の切り捨てにならざるを得ない。自己責任で働けなくなる老齢時になにができるのだろうか。
小泉改革は取得の再配分の仕組みが縮小されたことを意味する。

小泉改革が正しいとかあやっまっているという議論ではなく、日本というクニの方向性の選択の時だ。
戦後、終戦により政治体制が崩壊し、焼け野原の中、大規模な所得の再配分がされた。地主や華族、財閥など既存の富は、企業のなかに移った。企業の担い手は、大学受験、上級国家試験などのいわば日本的科挙制度に移り中流と呼ばれる世界でもまれに見るフラットな経済大国が出現した。
日本経済をになってきた日本企業はグローバル化のまえに企業の存続は難しく不透明になっている。大企業に所属していても、いつリストラになるか、あるいはM&Aで吸収され消滅してもおかしくない。

この状況で、「自己責任」を追求した小泉改革をそのまま受け入れるのだろうか。「美しい国」は軍隊をもてるクニを作ることのみが目的ではあるまい。

子供や老人や病人など、助けがいる人は必ずいる。
そして、だれもが、子供だったのであり老人になる。

子供を安心して成長し老人が絶望することにない社会をささえていくことが必要であり、けっして切り捨てるものではないはずだ。

将来に対する漠然たる不安感がなくなれば、消費が拡大する。
消費が拡大することにより、経済に対する期待感があがり投資がおこなわれる。

それこそが不況対策ではないだろうか。