matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

近くて遠い国


中国というのは近いのに遠く感じる。
最近は、外国人による犯罪のニユースや中国での反日デモなどで中国に対する嫌悪感がなんとなく感じてしまうのはなぜなんだろうか。尖閣諸島の問題や大陸棚の海底ガス開発や、ミサイル問題における国連での対応や靖国問題など、ネガテイブなイメージばかりである。街に出ると、百円ショップを始めとして、低価格品の代名詞となっている中国製品の数々も影響しているのだろうか。
中国との間には日清戦争以来、不幸な過去を持っているので仕方がないかもしれないが、相互理解の努力が足りないのかもしれない。

最近読んだ本は、中国と中国人との本質に迫れるような印象をあたえてくれる。

貝と羊の中国人 (新潮新書)

貝と羊の中国人 (新潮新書)

過去、この著者の書いた本も読んでいる。

西太后―大清帝国最後の光芒 (中公新書)

西太后―大清帝国最後の光芒 (中公新書)

過去のはてな

この著者は、京劇が専門であるそうだが、北京大学にも留学しており、中国の歴史にも造詣が深そうだが,中国人を内側から日本新の視線で見ている。そこには偏見もなく、また必要以上に持ち上げているところもなく、冷静な見方という印象を受ける。

漢字文化圏ということでは、朝鮮半島と日本そして中国のみの同一の文化圏であるともいえるのだが、陸地続きの朝鮮半島と違い、海を隔てた関係は、隷属感・征服歴をもっていない日本と中華思想での冊封国のひとつとしかみていない中国側の意識のずれだろうか。

日本は経済大国ではあるが、国土そして人口からいえば、ゆうに10倍以上の規模をもつのは中国だ。わたしは、外資系の会社に勤務しているが、アメリカ本社からみると、日本はもはや魅力的な市場ではなく、中国こそがアジアにおけるビジネスの中心と見えているような感じだ。

日本の企業はもはや、日本国内だけを市場とみると、グローバルな規模では非常に小さな会社として競争力もない存在である。たとえば、NTTとか、ドコモというのは、日本市場に置いては絶対的な存在感と強さを持っている。しかしながら、通信市場の自由化に伴い、グローバル企業が参入してくると、わずかな人口の市場にすぎず、グローバル規模のコスト構造にとても国内企業は太刀打ちできない状況となる。
しかしながら、世界市場からみた小ささは、グローバル企業からみると魅力がないため、またローカリゼーションに必要な投資に対し採算がとりにくい状況に気が付き始めている。ボーダフォンが最たる例ではないだろうか。

こうなると、日本企業は、日本での市場は確保でき、技術開発などの投資回収は、海外事業で回収するという図式ができる。
国内の市場シェアを確保できない、または海外進出していない、このどちらを欠いても企業として存続できないのが現状ではないだろうか。