matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

空洞化

最近日課となった早朝散歩だが、学生時代以来に地元の自宅周囲をじっくりと歩いて回ることになったのだが、地方都市の事ゆえ、短期間には大きな変化は無いのだが、さすがに30年近くになると様変わりをしている。以前は大きな縫製を行っていた会社が激減し、自宅近くの紳士服の会社もいつのまにか、敷地は新興住宅地の建売となっている。私の地元はアパレル産業が盛ん、いや盛んだったが、近年は見る影もなく駅前にあった問屋街は、完全にシャッター通りになっている。
終戦後、満州からの引揚者が古着販売を始めたのが起源で、物資不足の焼け跡ではその古着も売れつくした後は、縫製から新たに服を作り始めたのが地域産業として定着していた。駅前には問屋街が発生し、全国の小売業などが買い出しにきているようになった。闇市の露店が始まりだけあって、零細な企業も多く、大きな縫製工場ができたというよりも、裁断からプレスや縫製など工程に従って、家内工業的な分業体制で供給体制を作ってきた。近隣の農家の納屋にミシンやプレス機をならべたり、内職での加工のために縫製の請負業者が各家庭を布で満載したバンが回る光景をよく目にしたものでもある。そのなかからは、比較的おおきな工場を持つものも現れ始めたが、いつの間にか、その生産自体が徐々に中国などの海外に移転していったのが現実である。
自宅近くの元紳士服製造業も私の幼少期からあったので、半世紀は存続しており、工場に隣接しているオーナーの自宅は豪邸と呼べるものだった。元々は地元の農家だったと思うのだが、縫製を始めて大手ブランドの製造を請け負うことで成長し、紳士服が大手チェーンにより安価に大量販売されるようになると、紳士服を中国で生産し、供給する事によって成功してきたようである。生産を中国で行うようになると、国内の工場は物流センターに変わり、生産自体おこなわなくなり、そこでの人手も中国人研修生でまかなうといった徹底ぶりだった。生産の海外移転が成功し、国内への販売を拡大したというわけである。しかしながらそのビジネスモデルは長くは続かなかった。その販売先の大手紳士服の大型小売チェーンは中国の縫製業者と直接契約をおこなうようになった。結局、製造だけを行っていた企業がその生産自体を海外移転したものの、生産技術の移転後はよりコストの低い現地企業に勝てなくなったというわけである。
3.11東北震災は海外への生産や企業活動移転をより推進するであろうし、また今回の震災が無くてもそれは進んでいる。日本国内に留まっていては企業の存続自体が危ぶまれるだろう。しかしながら、海外移転したからと言っても、単なる延命にしかならないかもしれない。日本での家電などの生産はもはや、アジアなどにかわり、自動車でさえ、海外で生産している完成車を日本に持ち込んでいるものもある。国内の消費者はそれをわかっていながらも、日本企業のロゴがついた海外製品を購入する。個々の製品に対し信頼しているというよりも、長年日本の市場で商売してきた実績としてブランド評価している。しかしながら、海外においては、日本というブランドはあるが、個々の企業に対するブランド力は、あまりないような印象を受ける。となると、made in japanでない日本企業の製品にブランド力はあるのだろうか。フランス性でない、フランスのブランド品に魅力はあるだろうか。Apple製品は、アメリカ製品としてのブランド力ではなく、Appleというブランドと製品ポリシーや機能そのものが評価されているので、たとえそれがmade in chinaであろうがなかろうが全く問われない。
空洞化という懸念はもっともだが、日本という国の中が空洞化するだけではなく、会社や製品が日本という基盤を無くすことによって、企業自体が空洞化してはいないのだろうか。

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