階層化社会
最近、勝ち組み、負け組み論議や、下流社会論など、階層化していく日本の現状を懸念する声が多い。また、急速に高齢社会になる、年金をはじめとする世代間での対立めいた様相もある。
人に上下の序列などないのだが、持ちざるものと持たざるものは存在する。古代においても、集団のなかでは、共同生活を送り、獲物を分配してきたとしても、集団間では争いがあり、力の差が支配側と被支配側の立場を生成してきた。
社会の成り立ちは、階層を作成することであるかもしれない。組織というのは序列を作成し、命令系統を確立する。サル山にも、ボスが必要なように、集団に属するということは、階層に属するということに等しいかもしれない。
明治政府は、華族という、新たな階層を創設し、そこに、公卿と諸侯の上級武家、そして、維新の担い手(多くは下層武士たち)を統合している。そこには、実業界や、官僚、そして軍人たちが、組み込まれる。
- 作者: 小田部雄次
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
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固定化された、階層ではなく、故人の能力や功績により、形成されるのは、公平な競争の結果であろう。
華族という仕組みが硬直化し、既存損益保護にしかならず社会の活性化にならなかったのは、世襲制のためだ。板垣退助は自由民権運動をおこないながら、華族となり、爵位を受けている。しかしながら、世襲はせず、1代限りで辞退している。
社会として、経済的な成功以外でも評価し、報いる仕組みとして、爵位なるようなものは必要だったのかもしれない。