matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

今日は卒業式

末っ子の卒業式です。小学校の卒業式なんで父親が出席というのはあまりないだろうと思いつつ、幼稚園の入学、卒園、小学校の入学など、父親である自分が出席したことがないので、いつかは出たいと思って、上の娘の小学校の卒業式に出席した時以来だ。娘も年頃になると授業参観とか来るのを嫌がると聞き、小学校の卒業式ならいいだろうと思ってのことだ。

やはり、父親の出席は圧倒的に少なかった。妻にも、出るのって感じで、嫌がられた。卒業式のあと気のあった母親同士で食事会に行くので、どうも父親は邪魔らしい。

午前中に2時間弱で式も終わり、食事会から帰ってきたと思ったら、子供同士はプリクラ撮り、カラオケで、親はファーストフード店でおしゃべり。私は家でひとりで食事というありさま。

居心地の悪さを感じつつ、式に臨席したが、子供の人生の節目の共有を母親だけの特権にしておくのは納得できない。世の父親よ、もっと入学式や卒業式など子供の体験の共有をしよう。

それはさておき、今回、小学校の卒業式に参加して思ったのは、やはり儀式化している。親としては子供の成長を再確認して感慨深いものがあるが、子供にとっては、それほどでもなさそうだ。ほとんどの生徒が同じ地域の中学校に進学するのかもしれないが。泣いている生徒は見受けられない。

卒業生と在校生が言葉をかけあったり、合唱しあったり、まさにマスゲームだ。よっぽど練習しているのだろう。まるで○朝鮮?って感じ。在校生が合唱しているとき、リズムをとる体の左右のゆれがそろっているのや、指揮者にいっせいに向き合うときなど号令もないが、一斉に動作がキビキビおこなわれる。どうみても軍隊に見える。これを見ている来賓や保護者はどう感じているのだろうか。

WBCで日本は優勝した。その決勝戦のときに家電量販店にいたのだが、テレビ売り場の前には大勢の客が街頭テレビさながらだ。9回では、アウトを取るたびに拍手がおこり、終了時には歓声があがった。韓国戦などナショナリズムと復活かとおもえるほどだ。

格差社会といわれ、個人主義がはびこる今の日本。しかし、なにかのきっかけがあったらと思えてしまう。