matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

地図で読む日本古代戦史

地図で読む日本古代戦史 (平凡社新書)

地図で読む日本古代戦史 (平凡社新書)

歴史物で,合戦というと、源平の戦い、それも義経以降のイメージが強い。
それまでの戦いというのは、武装集団の小競り合いというイメージなのは私だけだろうか。
適切な表現ではないかもしれないが、暴力団の抗争、暴走族同士の衝突といった感じ。人数もせいぜい数百人規模ではなかったのかと思える。それが●●物語となると、すぐに10倍、100倍になっているのではと思える。
ロジスティクスが貧弱で、農業の生産性の低さとか交通網自体が整備されているとは思えないで、大人数が集団で移動できるとはどうしても思えない。現地調達にも限界があるだろう。
この本では、やはり規模感がいまいち伝わってこないが、戦乱なくして日本という国家が成立しえないのもまた事実であろう。日本としての国家の範囲を規定してきたのは、この本で記述されている古代の戦いなのだろう。

屯倉というのが、地方を統治するための、中央からの直轄地であり、そこが軍事拠点となりえたということが、古代において日本の広い地域を統治するシステムを伺わせる。貢ぎとしての税の集積地である同時にいざというときに派遣(召集)される時に軍事物資(最大の軍事物資たるのは食料だ)となる拠点でもあろう。

戦史となると、戦術や、英雄物、武勇伝などばかりだが、兵を集め、移動し、維持続けるシステムがかならず必要なはずだ。

大和政権が地方政権から国家になりえたのは、朝鮮半島からの鉄などの交易権を握っていたのが主要因であり、軍事力で統治していたのではないのではないか。征服というより、治安能力がその主体であり、大伴、物部氏に代表されるのは、せいぜいボディガード、警察力程度ではなかったのか。
であるが故に、蘇我氏などもたやすく討ち取られてしまう。クーデターというには、あまりにも軍事的要素は感じられない。

日本人の本質は、意外にかわっていなくて、現在の名目上の軍隊をもたず経済という武力ではないそれなりの繁栄を齎している。日本人=武士というイメージがあるが、ヨーロッパ史に比べるとずいぶん平穏な歴史と思えます。