日本は「和」のクニ?
日本が古代から中世までは、世界の歴史とくらべても、戦乱といっても小規模で、大量虐殺はあまりなく、多くは話し合いによって解決されていたらしい。
日本は外国より戦争が少なく残虐性も少ないのが特徴とのことだが、日本の将棋は敵に取られても、殺されることなく使われるというルールもたしかにチェスなどとは違う。親玉の王のみ排除すれば勝利というのが、日本的風土?
内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで
内戦の日本古代史 邪馬台国から武士の誕生まで (講談社現代新書)
- 作者:倉本 一宏
- 発売日: 2018/12/19
- メディア: 新書
古代国家はいかに建設され、中世社会はいかに胎動したのか?
倭王権に筑紫磐井が反乱を起こした理由は? 蘇我馬子と物部守屋の国際的な路線対立とは? 古代史上最大の戦乱「壬申の乱」勝敗の分岐点は? 桓武天皇の「征夷」を生んだ国家観「東夷の小帝国」とは? 天慶の乱はどのように中世へと時代を転換させたのか?――古代の戦いから日本のかたちが見えてくる、画期的な一冊。
「日本は戦争を(ほとんど)しなかった国である」と著者は言う。
「もちろん、個々の合戦の現場における実態は苛烈なものであり、犠牲になった多くの人たちは気の毒としか言いようがないが、たとえば中国・韓国やヨーロッパの研究者が見たら、おそらく笑うのではないだろうか。何と平和な国だったのだろうかと」
「中国大陸や朝鮮半島から離れた島国であったために海外勢力からの侵略を想定せずにすみ、強力な中央集権国家建設の必要性をそれほど感じなくても良かったこと、逆に日本列島からも海外へ武力進出する可能性も低かったために、強力な軍事国家建設の意思を持つこともなかったのであろう。また、周辺にほんとうの意味での異民族が存在しなかったために、国土が侵攻されるという危機感も薄かったはずである。さらには、易姓革命を否定して世襲を支配の根拠とした王権を作ったために、本気で王権を倒す勢力も登場せず、王権側も革命に対応する武力を用意していなかった事も大きな要因である。加えて、王権を囲繞する支配者層も、その中枢部のほとんどは王権を擁護することを旨とした藤原氏によって占められ、軍事をになった氏族も王権から分かれた源氏と平氏、そして藤原氏の末裔によって占められたために、武力行使勢力さえも世襲された」
そもそも戦争するには、大きな負担が欠かせないから、誰もがしたくはないはずだ。既得権益(ある社会的集団が歴史的経緯により維持している権益、権利とそれに付随する利益)が双方にある限り、リスクが少ないのは、片方の服従が戦いなく成立する「話し合い」であろう。
ただ、戦国時代には、戦は出稼ぎであり、農閑期に他国で乱取りという略奪手段となっていたので、自分が略奪対象にならないために、より強い集団化し戦国大名が成立して、天下統一に至ったわけだが、自衛と成長の果実が戦争という手段を肥大化させる。
明治以後、アヘン戦争の結果に恐れた日本という極東の国も、富国強兵は自衛のためだろうが、日清・日露戦争の勝利と中国の弱体が、自衛より成長の果実と日本市場初めて得てしまった海外既得権益を保持しようとしたのが、太平洋戦争で瓦解したわけだ。
軍事の日本史 鎌倉・南北朝・室町・戦国時代のリアル
軍事の日本史 鎌倉・南北朝・室町・戦国時代のリアル (朝日新書)
- 作者:本郷和人
- 発売日: 2018/12/13
- メディア: 新書
テレビ出演でもおなじみの本郷先生が中世、戦国時代の軍事史をわかりやすく解説。戦国時代に1万人の軍勢が1カ月にかかる必要経費はいくらか?、源平の戦いと一騎打ちの実態、集団戦から総力戦へ、錦の御旗に隠された真意とは?「戦場のリアル」が見えてくる。
鎌倉時代は職業軍人である武士が戦うのが前提。でも、室町時代になると数を重視して素人が参加する戦いになる。素人を戦わせるために槍が生まれたり、兵の数が増えることで兵站に対する考えが生まれたとのこと。
素人を参加させることができたのは、支配者の武士の強権化もあろうが、やはり、農閑期における出稼ぎという側面があったのではと思える。
大河ドラマばかりでなく、日本史をもう少し詳しく知りたくなった。
日本史の論点-邪馬台国から象徴天皇制まで
9784121025005
「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」。しかし鎌倉幕府の成立を1192年とする見方は今や少数派だ、といった話を聞いたことがある人も多いだろう。日本史の研究は日々蓄積され、塗り替えられている。
「邪馬台国はどこにあったか」(古代)、「応仁の乱は画期だったか」(中世)、「江戸時代の首都は京都か、江戸か」(近世)、「明治維新は革命だったのか」(近代)、「田中角栄は名政治家なのか」(現代)など、古代から現代まで各時代の重要テーマに豪華執筆陣が迫る。
いま日本史の世界で注目されている論点は何か、どこまで分かっているのか、この1冊でつかもう。
執筆分担:古代・倉本一宏(国際日本文化研究センター教授)、中世・今谷明(帝京大学特任教授)、近世・大石学(東京学芸大学教授)、近代・清水唯一朗(慶應義塾大学教授)、現代・宮城大蔵(上智大学教授)