matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

早朝の散歩


最近は、毎朝の犬の散歩を欠かさない。朝になると必ず犬が起こしに来る。吠えもせず、ひたすら顔を舐め回すので嫌でも起きざるをえないのだが、5時前後であり、まさに日の出と共に起きているのが毎日でもあある。これがなかなか気持ちよく、早朝の散歩が習慣化しそうだ。ただ寒くなっても続くか否かは自分でも自信はないが。
朝から歩いていると、車の通行は少ないが、散歩していたり、同じように犬の散歩をしている人にすれ違う。皆、なかなかのお年の方が多い。夕方の散歩は連れ荘が幅広いが、早朝はやはり高齢者ばかりだ。若い頃は、低血圧であり、また夜更かしすることが多いので、朝は1秒でも寝ていたいということではないだろうか。平日は、犬の散歩やただ散歩するだけの人の数が少ないが、休日になると、中年層の男性飼い主が混ざってくる。さらに日曜日の早朝になると、公園の草野球場で元野球少年たちが集まって、ソフトボールの練習を行っている。トンボを使ってグラウンドならしからしている。そのあと、キャッチボールを始め、ノックをしたり、なかなか本格的だ。全員必ず、野球帽を被っているが、ユニホームというわけでもなく、いかにも地域の野球小僧たちが集まっている感じだ。大人になり社会に出たあとは、様々な人生を送ってきた人々が定年退職後に少年時代の仲間たちでまた野球をしているという感じ。自分の年令も半世紀を超えたが、自分の気持ちや個性などは、結局なにも変わっていないと思える。少年時代からなにも変わっていないということは成長していないということかもしれない。ただ、知識や経験が増えただけであり、データ量は増大したかもしれないが、基本的な処理方式やCPUなどのアーキテクチャはなにも変わていないということだ。人生観を変えてしますようなことを経験していなかったかもしれないが、やはり人間形成は、身体的成長期と一致するのではないだろうか。そして、その成長期に最も影響を受けるのは、両親であり、成長期の地域であるようだ。
私の父は出征した最後の世代だったが、戦後は、当然、戦争反対であった。父が少年の時代は、日中戦争など軍国路線一色の時代であり、特攻として志願していった世代でもある。しかしながら、終戦後、教科書は塗りつぶされ軍国的な価値観がすべて否定された。農地改革、財閥解体平和憲法などGHQと呼ばれる戦勝国である占領軍によって行われた社会変革は、結果としては、戦前の価値、体制の否定ではあったが日本人によって歓迎されたことは、占領軍司令官であったマッカーサの帰国時の日本人は歓迎ではなく惜別の感で送ったことでわかる。ベトナムアフガニスタンイラクなどとは全く異なる結果となった。太平洋戦争でアメリカが被った被害とは比較にならないはずなのにである。本来人民のくにであった共産主義ソ連が行った戦後の処置とは雲泥の差であった。
太平洋戦争において、日本は停戦するタイミングが遅れ、より壊滅的な被害を受けている。日本が完全に敗北したのは、1944年の夏にサイパン島が陥落し、マリアナ沖で海軍が惨敗したときであった。これにより、B29による本土爆撃が可能になり、そして日本海軍は完全に制海権を喪失し海外での作戦遂行能力が絶たれたことになる。60万人の非戦闘員である一般市民の空襲による戦死、それはヒロシマなどの原爆被害も含んでおり、200万人と呼ばれる戦闘員による戦死者の実に6割近くが餓死などの補給がなくなった結果となっている。それは終戦までの1年がもたらしている。国体の護持ということが優先されたわけであるが、その時点で降伏という決定を日本という国自体ができなかったことは、当時の権力者たちの能力や資質の問題ではなく、当時の体制の価値観やポリシーおよびカルチャーが明治維新以来の富国強兵の結果だったのではないだろうか。そして不毛な戦争は、結局、体制の象徴である天皇の聖断という形でのみ可能であった。幕藩体制を崩壊させたのも尊皇というイデオロギーであったが、いまの日本での守るべき基本理念というのは存在しているのだろうか。


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