matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

景気はそこを打ったが


金融収縮により、肥大化していた需要が収縮した結果、世界経済は一斉に過剰在庫を調整した結果、100年に1度と呼ばれる不景気に突入した。どうも、昨年の2月がその底だったようだ。企業、特に外需依存の高い日本の製造業は派遣切りを始めとした、変動費の圧縮と生産調整の結果、過剰在庫は改善され、再び生産活動などを戻し始めている。しかしながら、現時点の実需要はリーマンショック以前より、2-30%減っている感じ。どうやら、このあたりの現状が、本来の需要であり、このレベルでこのまま推移しそうな気配。となると売上増を期待できない製造業は固定費を削減し、収益分岐点を下げることに尽力せざるをえない。
過剰な生産能力を持っているため、当面は新規の設備投資を抑制し、従業員の新規採用を控えるだけではなく、早期退職など勧めていく。さらに製品数を見直しし、製品の種類自体を削減し、製品に対するサポートコストやR&D費用を削減していくだろう。自動車でいえば車種を減らし、販売店網を見直すことになる。
景気動向を改善するには、需要を外需もしくは内需を問わず増やさなければならない。需要を増やすためには、購買力を高める必要があり、そのためには、やはり通貨量をいかに増やすかということになるのではないか。
世界大恐慌は、金本位制という、金という金属に裏打ちされた通貨により世界経済が成り立っていたことがどうも、潜在的な原因であったようだ。産業革命が進行し、生産力の増加、人口の増加など、供給が増加し、需要が増えたが、金という金属の総量がそれほど増加できなく、生産力(供給)の伸びがはるかに高くなったとき、絶対的に、通貨が不足し始める。第1次世界大戦中は戦時であり、欧州などはアメリカに対し、借款というかたちで調達せざるを得ない状況になった。これは、実際には、金を払わずに物を買っているわけだから、手持ち現金以上の支払いが行われ、支払いを受け取り側も、現金を得ることなく販売したことになる。この時点で、あきらかに、現金として存在する額以上の取引が存在するわけである。水ぶくれした帳面上のお金は、土地や株という投機的な取引にむかった結果が、大恐慌を引き起こしたのだ。
人口の増加と生産力などの経済発展により、物は必ず増える。それに伴い通貨を増やしていかなければ、かならず破綻する。これは循環型の景気動向ではない。金本位という有限の通貨では破綻したのだ。
現在の経済は、いわばドル本位制であろうか。金ではなく不換紙幣であるドルならば、印刷すれば増やせる。印刷するためにはアメリカの中央銀行からだれかが借金をしつづければ良いと言う事になる。しかし、借金しつづけたらどうなるかは、かつてのドイツや日本で起きたハイパーインフレとなり、経済行為が出来なくなる。
そのドイツは、どうやって、復活したのか。

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151)

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151)

ナチスという、非人道的な全体主義という現実とは、うらはらに経済政策だけをみていると、なぜ、ナチスという全体主義ドイツ国民があれほど支持したのかということが納得できる。
富の再配布の仕組みが、ドイツという国の中ではできえなかったが。
この本の指摘で興味深かったのが、ドイツの金保有高が、劇的に減少していき、その挙句にポーランド侵攻などの軍事的手段に移行していったという相関関係の指摘である。
いま、世界経済は、BRICSを始めとした新興国、とくに中国やインドなどの経済発展に追随できる通貨政策が必要なように見える。

かつて、日本は米本位制だったかもしれない。
江戸時代、新田開発など米の生産力が上がった結果、通貨が足らなくなり、貨幣改鋳という手段がそれを補っていた。
しかしながら、食糧というものが、金のように決済手段として使用するためには、保存できるもので、保存していても価値が劣化してはいけない。数ある食糧で、冷蔵技術がなくても長期に渡って、保存できる米という主食になるものの中でも最適だと思える。
主食といえば、米、麦、トウモロコシというイメージだが、実はイモというものも主食としてなりえているものがあることを忘れがちである。かつての日本も稲作が渡来するまえには、サトイモなどが主食であったこともあるだろう。太平洋諸島などでは、タロイモだ。

ジャガイモの世界史―歴史を動かした「貧者のパン」 (中公新書)

ジャガイモの世界史―歴史を動かした「貧者のパン」 (中公新書)

基本的な経済基盤は農業など食にあるべきかもしれないが、現時点では、「ドル」という不安定な虚像の上に成り立っているのが現在の世界なのだろうか。