matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

また葬式

また葬式

こんなにも続くものだろうか。
今度は、上司の実父の方が亡くなられた。
通夜に参加させていただいたが、神式という今までに経験の無いものだった。焼香も読経も無いのは、やはり違和感を感じるが、いささかも尊厳をそこなうことのない式しだいであった。
神主様から玉串を受け取り、神前に捧げて拝礼することを玉串奉奠(たまぐしほうでん)という。
一揖(軽いおじぎ)、玉串を案の上に置き、二礼二拍手一礼をし、再び一揖。葬儀の場合は、拍手を音を出さないことを除いては、一般の神式の方式と変わらない。神葬祭の不祝儀袋の表書きも玉串料(または御榊料)と書くらしいが、今回は御霊前とした。
浄土真宗では、御霊前ではなく、御仏前になり、たの仏式では49日まではご霊前でもあるが。
この半年で、すっかり詳しくなってしまったのが、悲しいことだが。
父が亡くなってからは、1日1回は、ご灯明と焼香をするようになり、休日には読経をするようになった。いつまで続けれるか心もとないが、なんとなくしないと落ち着かない。自分は、無宗教だと思っていたのだが、身近な人が亡くなって、死というものに向き合ってしまった感じだ。
人間だけが、かならず死ぬことを知っている生物だ。

「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

「日本」とは何か 日本の歴史00 (講談社学術文庫)

この著者は、以前に「東と西が語る日本の歴史」でその歴史観に気付きを受けたものだが、戦後の共産党の活動を行っていた活動家の過去を持ち、かつ肺がんを患いながら、いわば死を目の前に見つめながら著述されたことに感慨を受けた。ある意味、この歴史家の歴史観の集大成になっているのかもしれない。

自分の死をどう迎えるか。
タレントの飯島愛が、死後1週間たって、自宅で発見された。
死因は今の時点で明確ではないが、孤独死であったことはまちがいなさそうだ。少子高齢化など、かならずしも家族の中でその生を終えるということが難しくなっていくこの現状では、この本はあまりにもリアルだ。

どうも、気持ちがふさいでいくので、人類の未来を感じさせるテクノロジの話題にふれたくなり、童心に返って、飛行機本を買ってみた。

それで、兵器化かよというところもあるが、ある意味、戦闘機はテクノロジーの極地でもある。戦争ふがしたわけではないが、このようなハイテクの話題に心奪われるのは、子供が戦闘機のプラモデルが欲しくなるのと同じだ。
しかし、このF-22というのは凄い。
模擬空中戦で、242対2という撃墜率は圧倒的だ。そのせいか、この機種は輸出が禁止されており、日本が導入を希望しているが、実現していない。湾岸戦争で、米国の新型戦車のM-1が、イラク軍のソ連製戦車を圧倒し、正規軍同士の戦闘では圧倒したことを思い出す。
少数にて圧倒的な大勢の相手を圧倒できるのが兵器の差だ。

もちろ、テクノロジは平和的な利用でも活用される。
安全、快適で経済的な移動を実現している。
飛行機というと、エネルギーの浪費で環境破壊の最たるものというイメージがあるが、新型のエアバスA380でいうと、100キロを一人の人間が移動するに換算すると、自動車よりも、燃料の消費は少なく、CO2排出量もすくないそうだ。

昔はよかった、自然のために昔にもどれ、現代科学技術の発展に疑問を投げかける人たちが多いが、60億という人類の現状においては、科学技術無くして存続は不可能であろう。地球のために人類は滅ぶべきだということになってしまう。