matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

残り行くもの

漫画家の赤塚不二男が亡くなった。
わたしたちの世代にとって、赤塚不二男の漫画というのは少年時代に大きなウェイトを持っている。石森章太郎、藤子不二男さらに手塚治。
ふと気がつくと、少年マンガの旗手たちがいなくなっており、マンガ喫茶にいっても自分らの世代は見慣れない作品ばかりとなっている。日本のマンガというカルチャーが今、世界で大きな存在であることは確かだが果たして残りつづけるものだろうか。作品は読み継がれることで残る価値があるともいえる。読者たる我々の世代が無くなると同時に消えていく存在なのかもしれない。
建築物は、残りつづけることによって、その価値を増していくことがある。犬山城などはその最たる例かもしれない。それに比べ姫路城は、その規模のものが残っていることにおおきな価値を増している。
紫禁城は、中国そのものの存在感の一部でさえあるだろう。
ドッグイヤーといわれているIT業界に入りこんでから30年にならんとしている。大きく変化したことは事実だが、自分自身は変化を感じない。価値観やスタイルはそのままのような気がする。これを成長がないというのもしれないが。

ビッグプロジェクト―その成功と失敗の研究 (新潮新書)

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紫禁城―清朝の歴史を歩く (岩波新書)

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名ばかり管理職 (生活人新書)

名ばかり管理職 (生活人新書)

名ばかり管理職
うまいネーミングだ。ワーキングプアなどNHKは、キーワード化するのが巧みだ。マスコミというのは、お題目になるのを好むという面もあるだろうが。
かくあろう、私も「名ばかり管理職」である。非組合員であり、残業手当もつかない。ただ、インセテイブ制度なので、たとえ管理職ではなくても残業手当というものがつかない職種であるが。
名ばかり管理職」というのが、雇用者側の人権費削減という目的であるように成功報酬型給与というのも人件費の固定費部分の削減であろう。成功報酬型のインセティブ部分は、固定費比率を下げる有効手段だ。しかしながら、「名ばかり管理職」で削減されると労働者の単価が下げられるということだ。つまり、事実上の低賃金化に直結する。
成功報酬型にするのは、労働形態に裁量権が伴わないと意味がない。また、数値化、定量化が困難な業務形態の場合では導入できない。
人件費削減目的なら「名ばかり管理職」を拡充するしかなくなるということになる。
最近、行政側の指導で、「名ばかり管理職」である側にも勤務状況の把握をさせることによって、過残業などにともなう労災などの防止策となっているようだ。
勤務時間の報告が義務付けられ、深夜勤務などには、上司の承認が必要とされる。はたしてそのような勤務や労働が、「管理職」といえるのでしょうか。
被雇用者である労働者という立場での味方は、本来労働組合というユニオン組織のはずだ。「名ばかり管理職」は非組合員とならざるを得ない。本当の問題は、残業代が貰えないということや、過残業ではないと思える。労働者という立場を亡くすことによって、「名ばかり管理者」は、孤立していることだ。
こうなると、もはや公的な関与がない限り、個人で組織と関わらなくざるをえなくなる。労働者として保護されていない事実上の「労働者」の比率が高まっていることにこそ危機感を国は持つ必要があると思うがいかがなものであろうか。

管理職である条件は、以下の3点。あなたは「管理職」ですか?

  • 「経営と一体的な立場で、企業の決定に関わる重い権限が与えられている
  • 労働時間を管理されず、出勤や退勤の時間を自分で決められる
  • 一般社員より報酬が高く、管理職にふさわしい待遇を得ている