江戸時代に諸藩で起きていた「押込」について書かれている。
「押込」というのは、家臣による主君強制隠居である。武士道が確立されたのは江戸時代でもある。戦国時代以前、「家」は血縁、地縁関係を主体とした集団であった。それが、群雄割拠の実力社会であった戦国時代には、能力を奉公という契約形態で雇用関係をむすぶ組織になっていく。主従関係は、能力と対価との相互関係に変化していく。ある意味で、主従関係とは対等なものであり、無能とみなされた主君を見限るのは、それほど珍しくなかったに違いない。そして乱世が終わり、太平の世が到来したとき、変化に対応できる能力ではなく、成長を望めないため現状維持を目的とするために、体制は変化を望まなくなっていったのだろう。上下秩序が固定化し、維持することが目的化すると、恩と奉公の関係は、主従関係ではなく、「家」という組織に対するものに変わったとすれば、主君に対する「押込」行為は武士道に反することではないということなのだろう。
現代にとって、組織に対するロイヤリテイに通ずるものがあるのかもしれない。創業者または
同族経営はもちろんだが、コーポレートカルチャと呼ばれる価値観の均一性が、異質なものを除外していく行為。会社を経営しビジネスを継続していくことが、組織やカルチャを維持することが目的化していくのではないだろうか。