米国は世界の保安官?
米国は世界の保安官?
またどこかの国が地下核実験をおこなうと恫喝している。ミサイル、そして核。日常生活のなかで暴力で恫喝されたときどうしたらいいのだろうか。
やはり、警察に相談するというのが、法治国家なんだろうが、そこで、地元の顔役に保護をお願いする、または、空手でも取得して対抗するべきなんだろうか。
国際社会に警察はいない。しかしながら自称保安官といえば、アメリカなんだろうか。そもそもが、開拓(先住民から見れば侵略?)から始まり、独立を戦闘行為で勝ち取ったことにより成立している国家でもある。キリスト教が事実上の行動規範のベースとなっている国家なのに、銃の自由な保持を認めている。いや、十字軍の時代から異教徒との戦いは聖戦とみなされている。
アメリカの日本人の感覚でみると、異様な感じをする面をもつ。
- 作者: 鈴木透
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/09
- メディア: 新書
- クリック: 19回
- この商品を含むブログ (52件) を見る
日本にミサイルを打ち込まれたとき、自衛隊は相手国に対し、防衛目的とはいえ、相手国内にある軍事施設を攻撃することが可能なんだろうか。
その手段の有無の前に日本の戦後一環してきた国際紛争を解決する手段としての軍事行動の忌避の理念に反するものではないだろうか。しかし、自分の家族が攻撃されたとしたら...崇高な目的による第9条は、誇るべき哲学である。しかし、暴力に対抗できるのは...暴力でしかない?のか