matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

守るべき伝統って


韓国の南大門が炎上したが、ある意味では現代まで火事にも戦火にもかかわらず存続してきたこと自体が奇跡かもしれない。
わたしも生を受けてから半世紀を経ようとしているが、その間に鉄道は廃線が続き、徐々に町並みが変わりつつある。今の居住地は生まれ育って場所でもあるが、区画整理された結果、青年期までの道並みは大きく変化している。近所の商店街はもはや商店がなく、少年時代に買い物をした商店はもはや存在しない。周囲の家や建物も大部分が建て変わっている。

市の中心部は戦災の空襲で戦前からの建て物自体が少ないが、町並みを大きく変えたのは戦争というよりも、社会の変化と経済の変化である。

旧皇族が語る天皇の日本史 (PHP新書)

旧皇族が語る天皇の日本史 (PHP新書)

旧宮家のかたが書かれた天皇の通史であるが、非常に平易に書かれたものであるが、現代にいたるまでを天皇側の視点で見てみるのが新鮮な感じだ。古代の神話の世界は別としても飛鳥時代から現代まで、血脈が引き継がれ、かつ国体としての存在を失うこともなく続いてきたことはたしかに稀有な存在であることは間違いない。
イデオロギ的視点からみると、否定的な見方もあるだろうが、この存在を今後も継続し維持していくことは意味があることに間違いない気がする。
たとえは悪いかもしれないが、法隆寺東大寺など歴史的建築物が実用的な建築でないから不用であるとは、とても思えないのと近いかんじがする。
自分も含めて、個人の寿命はせいぜい100年あれば稀であろう。今、100年住宅などと言われているが、現代の建築物で100年以上にわたって存続しうるものがどの程度あるかと思うと首を傾げざるを得ない。
デジタル化が進行したが、デジタル化した情報は100年存続させることは非常に困難なことだ。
技術の進歩は記録媒体を変化させ、その記録媒体を再生できる手段を無くしていく。つまり、数年おきには媒体を置き換えていく努力が必要なのだ。国会図書館などデータをデジタル化して保存していくこともおこなわれているようだが、現物としての保存も行うべきではないかと思える。
古代エジプトの遺物として残されているのは墓に埋められたものか、建築や土木の痕跡が大部分であろう。文字という情報で残されているものは建築物などに残された碑文が多い。日本史においても飛鳥時代以前の歴史は文字としての記録がほぼないため、同時代の中国の文献のみである。古墳時代という名のとうり、古墳という墓場?などの埋葬品が主体と考えると、いかに形あるものを残していくのが困難であるかということだ。
結局、私たちが死後に残る可能性が一番たかいのは墓だけなのかもしれない。しかし、核家族化し少子化が進む中、その墓もいつしか祀る人も無く、無縁仏化していくのだろう。