matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

転職で成功した戦国人


藤堂高虎...司馬遼太郎にいわせれば、世渡り上手と酷評された戦国武将
と、背帯にかいてあった。

江戸時代の設計者 (講談社現代新書)

江戸時代の設計者 (講談社現代新書)

高虎の転職歴
浅井に2年
阿閉に数年
磯野に2年
織田分家に1年
木下秀長で、やっと芽が出た
主君が亡くなり、2代目もほどなく死亡し主家断絶状態でリタイア
しかし秀吉にスカウト
秀吉亡き後、家康の顧問(執行役員って感じ?)

この流れは、山内一豊に通ずるものがある。

もっとも、この本を読む限り、山内は、単なる外様であり、いわば、地方支社にとどまっているが、高虎は織豊系大名でありながら、幕府側のテクノクラートとして本社で活躍している。

世渡り上手というよりも、自分の能力が最大限に発揮できる場を望み続けていたという印象だ。
お家発展という山内さんより、生き方にポリシーを感じてしまう。

ライン部門である福島正則や、加藤清正は、いわば豊臣の生え抜き役員であり、転職経験もない。
しかしながら、秀吉死亡後、社内派閥争いになり、結果として社外取締役(家康ですな)の会社に吸収されてしまっている。
総務や経理などのスタッフ部門は、運用や運営はできるが、戦略がないように見える。原状や過去の実績を分析し、数値化してのみ判断するから、大きな変化には適応しにくく、また自ら変革をつくるのは難しい。なぜなら、現場であるライン経験がないからだ。その意味では、ラインをもキャリアパスに含めていくようなことをトヨタなどではおこなっているようだし、また組織的にラインとスタッフの混成によるトロイカ体制がとられるようだ。
五奉行五大老制は、まさにそのバランスにそったものであったが、それを統括するCEO不在では、ということであろうか。