検証・山内一豊伝説
検証・山内一豊伝説 「内助の功」と「大出世」の虚実 (講談社現代新書)
- 作者: 渡部淳
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/10/19
- メディア: 新書
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来年の大河ドラマになるということで、書店には山内一豊本が、次々とでてきている。歴史好きには、新たな課題がでてきてついつい読んでしまう。
この本で新たに知ったのは、一豊の土佐大名への結果は、所謂「大出世」ではなく、徳川方に味方した豊臣恩顧のものたちへの標準的なものだという説である。
掛川5万石から土佐20万石で、5倍の加増ではなく、実は、土佐は9万8千石であり、せいぜい2倍程度である。
これをみると、最前線で戦った福島、黒田にくらべさしたる戦績の無い山内が5万石から20万石という、実に5倍の加増はまさに「大出世」なのだが。
ではなぜかということに対し、この本では、阿波を領する蜂須賀氏を超える家格が欲しかったと推測している。
でもこれにも疑問が残る。石高におうじた賦役というか軍役の義務が生じる。いわゆるご奉公である。兵を維持し、戦が無くなれば、城、江戸などの土木事業への参加、大名行列は、軍隊をひきつれての行軍であり、軍事行動であるから、石高に応じた規模が必要となり、多大な経費を必要とする。さらに、幕府が、その申告された石高をそのまま受け取ると言うことは、家格をみとめたことにもなる。幕府がそのまま受け入れるとは思えない。
ただ、山内衆の土佐入国は、大変だったようだ。統治者が変わっても、土地に土着した側はそのままうけいられるものだが、土佐は兵農分離が進んでいない、また、本国での戦はすでに収まり、九州平定、小田原、関が原など遠く離れた土地での勝敗で、地元にいる物にとってはとても実感できない。そとからやってくるのは占領軍であり、侵略者だったのだろう被征服民たる下級武士が幕末で活躍した倒幕にむかったのだろうか。