matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

まんが喫茶で感じること

今日、初めて、マンガ喫茶なるものにいった。
黙々とまんがを読んだが、青少年の頃読んだ漫画がほとんどない。知らないものばかりで、やはり世代差を感じる。嫌だなあ。

虎屋和菓子と歩んだ五百年

虎屋―和菓子と歩んだ五百年 (新潮新書)

虎屋―和菓子と歩んだ五百年 (新潮新書)

虎屋の十七代当主が書いた本。和菓子から世相が見える。菓子というのは主食ではなく、必需品ではないものであり、食料が満たされているという大前提のうえになりたつものであり、昔は特権階級の象徴であったのかもしれない。フランス革命のとき、民衆がパンをもとめて暴動を起こした時、王女は、「パンがないのなら、なぜお菓子を食べないの」と言った逸話が、菓子の位置付けを明確にしているのではないだろうか。

現代でも、冠婚葬祭に菓子というのは、つきものいであるが、古来恩賜品の象徴のような感じ。上が下々に対し、下さるものであり、権威を象徴していたのかもしれない。菓子というのは、主食ではないが、主食を超える満足感をえるものである。それを恩恵として現実化できるものであろう。
虎屋の菓子が皇族を始め、貴族階級などの嗜好品としてはもちろんであるが、むしろ儀式の際に用いられつづけてきており、明治時代に天皇の御行幸の際に民衆に配られてきたのは、徳川から政権が交代したことを知らしめることに大きな効果をえたに違いない。

古代ローマ時代、皇帝は「パンとサーカス」を提供することにより、政権を維持できた。ローマ市民はローマ帝国軍をささえる軍事力の供給源であったためだ。

政治と言うのは搾取の歴史であったことは確かだが、富の分配という背景もある。マンモスを協力して狩猟していた時代、リーダの重要な条件は、その肉の配布をする権威だったかもしれない。

しかし、分配されているもの以上の大きなものは、特定のグループに偏在している。民は生かさず殺さず。時には、菓子でも...今の政治は、菓子とはなんだろうか。