便利になれば良いのか
リッツ・カールトンホテルでの事
- 入り口のドアは自動ドアでない
- ロビーに案内表示が無い
これは、ドアマンが空けるという歓迎を示す。
案内を従業員に聞くようにしむけて、その対応をサービスしていることをアピールでき、かつ顧客の属性情報を収集しているそうだ。不便な状況が人の助けを求めさせ、それをサービスとして提供するということだ。
デパートのエスカレータで小学生で頭が挟まれる痛ましい事故があった。
デパートでエスカレータに乗っていると、アナウンスで繰り返し注意が放送されている。しかし、その事故の小学生を注意する人はいなかったのだろうか。
電車やバスに乗ると繰り返し注意放送が流れる。
昔に比べるとホームからは、駅員がすくなくなり、監視カメラと自動化された案内放送ばかりになっているようだ。
わたしの子供時代には、バスには車掌さんがいて、バス停に近づくと案内放送してくれていた。それがワンマン化され、運転士がバス停が近づくとボタンを押してテープでの案内になっていった。
サービスは定型化が進み、標準化が進んでいる。正社員からバイトなどの非正規従業員への転換する上で必須であろうが、標準化されたサービスに失望はなくなるが期待もしなくなる。
うちの上の娘はジャニーズ、下の娘はディズニーに夢中である。
ジャニーズは典型的なアイドルをパターン化し、ディズニーは夢を定番化しているような。しかし、ジャニーズやディズニーを超えそうなサービスはでそうもなさそうではあるが。