matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

ペットを飼うということ

盲導犬が、通勤中にフォーク?に刺される事件だが、愛犬家としては非常に腹立しい事だ。訓練されているから、刺されても鳴かずそのまま職務を全うしていることに感心すると同時に健気さに泣けてくる。
そのことにあるセレブ?な著名人というかほぼバラエティタレントとなっている愛犬家というかたが、怒りをコメントしていたが、その中に、そもそも盲導犬というものが犬に対する虐待じゃないかとも。盲導犬は決して吠えず、大小便も許された時点しかしない、つまり常に我慢させられていることをひたすら教え込まれる。そのこと自体が虐待だという。盲導犬の代わりをする道具なり仕組みを早く開発してほしいとも言っていたようだが、盲導犬自身の気持ちや思いはどうなんだろうか。犬は賢いが残念ながら会話することはできないので、その思いを確認する術はない。
私にとって、犬はもはや家族と同じだが、その家族は、ペットショップで買うという行為から始まっている。自由の国アメリカでも奴隷制度は存在していたし、奴隷市場で人間を買うという行為はおこなわれていたわけでもある。奴隷という存在は人間の尊厳を否定するものであり、いかなる理由があろうともその存在は許されるものではないだろう。では、人間以外であれば、許されるのか。厳格な仏教徒でもない限り、大部分の宗教は肉食を禁じていない。しかし、いかなる宗教も人肉は許容しない。所詮、人間は主として存続するためには、異なる種のうえで存在しているのだ。自分としては犬を食べるということは受け入れがたい行為だが、食用にされる文化が世界には存在している。私は犬はたべれないが牛や豚は食べる。
犬は、人間のともや家族、そしてパートナになりえる存在だ。ただ、餌を与えるだけの存在ではない。彼らの所作や行為に癒される。彼らも私たちと触れ合うことを喜んでいるように感じる。盲導犬たちも人間に命令されてるからのみ行動しているわけではないと私自身は確信している。

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