matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

日本は均質化社会

ひさしぶりに、海外出張。アジア地域のエンジニアが集まって社内シンポジウムに参加した。参加国は、中国を除くアジア圏である。日本からの参加が一番大勢であったが、東南アジア諸国やインドなども参加。英語とは思えない英語が飛び交う事になった。中国系の喋る英語は、中国語の発音であり、インドのかたの英語は、ヒンズー語?っぽい。マレーシアのかたの英語の発音が聞き取れず、電話でWifiのコードを聞いても聞き取れない。結局、アメリカから来ている方の英語が一番聞き取りやすい。世界の共通語は確かに英語だが、やはり現地化している感がある。日本人の喋る英語も日本語発音なのだろう、かつて新婚旅行でオーストラリアで乗ったタクシーの運転手に行き先を告げると、「日本語はわからないだよな」と言われて途方にくれたことを思い出す。会話には文法以前に発音が大切なことはもちろんだが、実はこれが難しい。結局はネイティブなかたのマネをするしかないのだが、現地化した英語は、現地人同士ではなしていると、発音は現地語に限りなく近くなる。関西に行くと関西弁になるようなものだ。日本のように単一民族国家ではなく、また地域により言語が異なる国では、英語が標準語として日常的に使用されているが、その場合はおうおうにして、現地人同士の会話での英語になってしまう。結局、その発音が一番聞き取りやすいのだろう。
日本では、普段感じない「クラス」だが、海外にでると、日本人からすると違和感を感じることがある。日本人は固まって行動するがインドの方は多くの小グループに分散し、上司と部下の関係は明確で、上司からの指示は尊大さを感じる。クアランプールで宿泊していたまあ一流に属するであろうホテルでも、マネジャーはウェイターやポータを監視と(指示というより)命令している姿は、パワハラじゃないのかと感じてしまう。

神戸新聞の100日 (角川ソフィア文庫)

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