matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

消えた街並み


犬を飼い始めて、近隣を散策することが習慣になった。特に週末は、朝夕の2回をそれぞれ1時間ずつかけて歩いている。毎週それをしているとさすがに違うコースを歩きたくなり、結果として近隣の周りをうろつくことになるが、それは小中学校時代に自転車や徒歩で歩きまわっていた地域に重なる。高校になると交友範囲が小中とは異なる校下の友達が多くなり、近隣を彷徨くことは無くなり、どんどん遠隔地が行動範囲となる。結果、これだけ近隣を歩き回るのは三十年いや四十年ぶりとなろうか。その間に、自宅の周囲は区画整理が行われ道まで変わってしまった。昔は一面が田畑か空き地だったのが、住宅が点在していや、畑が点在する様になっている。それはそれで感慨深いものがあるが、もっと万感迫るのは、昔の道がそのまま残されている昔からの集落というか町筋である。四十年たっているのだが、まだまだ多くのその頃の家がそのままで時間が止まっているかのような感もある。しかし、大きく変わっているのは前は商店街だった場所だった。
個人商店や八百屋、スーパーが軒並み無くなっており、シャッターが閉まったままの家や、駐車場になっていたり、建売住宅で得られたのだろうか比較的小さな細切れの住宅になっている。車社会になり郊外の大型店舗が濫立している状況で、昔からの小規模な個人商店で形成された商店街にはもはや存続が出来なかったのだろう。しかし、運転ができない高齢者にとっては厳しい状況でもある。まだまだ今の高齢者で妻まで運転できるかたは少ないようだ。郊外での車社会の中では、徒歩で歩いている人とすれ違うことは、非常に稀になっているが、それでも歩いている方は、私より年上の方々が大部分である。健康上の理由ということも持ちろなるだろうが、移動手段が限定されると、家に閉じこもるか、そでなければ、屋外に徒歩で歩くしかない。介護保険制度の導入はディサービスの普及をしたと思うが、以前の井戸端会議に相当するコミュニケーション手段となっていると思える。

真田三代 (PHP新書)

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