多様性が生き残りの根本か
命とは、人ってなにという課題は、哲学であるが、実は生物学の根本であるようだ。ダーウィンの進化論、DNA研究など神の領域である宗教とも相反する。
- 作者: 長谷川英祐
- 出版社/メーカー: メディアファクトリー
- 発売日: 2010/12/31
- メディア: 新書
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例えば、巣内の温度が上昇したとき、ハチは羽を動かして内部の換気を促すことによって対処する。その強弱や行動の指示は誰もされているわけではなく、各個体の判断である。もし、集団内のすべてのハチが同一行動を一斉にとったらどうなるか。集団内のハチはすべて同じ疲労を蓄積し集団として全滅する可能性がある。それをコントロールしているのは、各個体の反応閾値が異なるからだという。反応がマチマチの個体の集団であるほうが、結果として集団の柔軟性を保持できることになるという。
人間社会としては、工場や企業などではいかに平準化/標準化するかが生産性向上、ひいては利益率向上に寄与する。出る釘は打たれるというのが集団のなかではよく言われることでもある。しかし想定外の事象が発生したとき標準化された組織で対応ができるのだろうか。今回の震災は想定外のリスクや、生産の集中が崩壊したときの影響などを強くかんじさせた結果になっている。リーダ不在の政治状況が揶揄される昨今だが、それでも社会が崩壊しないのは、日本という社会が実は多様性を持っているということではないだろうか。全体主義の政治体制の弊害は強いリーダシップのリスクを感じさせる。