matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

今年も年賀状を作らねば


歳末となり年賀状を作成しなければならない。パソコンで年賀状を作成するのはいつの頃からだろうか。いつも使っている年賀状作成ソフトの住所録だけでも、10年分あったが、その前はMacで宛名書きをしていたから、10年以上は続いている。最初は宛名書きだけから、近年はすべてプリンタで作成している。手書きで書き、その次はプリントゴッコで簡易印刷していた時代もあったが、年賀状を出すと言う行事は続いている。ところが、最近の子供たちをみていると、携帯やインターネットメールですませてしまうらしい。大晦日から年明け直後に一斉にメールを送信するようだ。なんとなく味気なく、日本文化はどうなるんだと想っている自分自身がすでに手書きの年賀状や手紙を書かなくなって久しい。仕事現場でもPCが1人ずつ使用して、キーボードとモニター画面越しに仕事をして文字を書くという機会も少なくなった。しなしながら、最近はノートPCを持ちあるくのは極力しないようにしているので、ノートとペンだけを持ち歩く。汚い字でとても他人には見せられないが、メモをするという行為は記憶力がとみに減衰してきた昨今には欠かせないことだ。平安時代など貴族が日記を書いていたものが、数多く現存しているが、これは文学的な趣味というよりも、業務日誌的な備忘録であったような。記録されたこといにより有職故実として確立し、「家」としての継承される知的財産となったらしく、儀式をおこなう場合の先例を知る上での裏づけにもされたようで、時の政権からも閲覧依頼がされる。有識とは過去の先例に関する知識を指し、故実とは公私の行動の是非に関する説得力のある根拠・規範の類を指す。そうした知識に通じた者を有識者と呼んだ。とにかくメモとして残しておくことである。
最近は、ライフログという言葉があるようだが、そこまで行かなくても携帯メールなどで文字として残り、かつ携帯やスマートフォンのカメラで写真として残していくことも容易である。若者の間ではブログという公開可能な日記的手段が定着しつつあるようだ。はたして、このような電子的な私的記録は紙ほど後世に残るものだろうか。

志士と官僚 (講談社学術文庫)

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大阪商人 (講談社学術文庫)

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天皇はなぜ万世一系なのか (文春新書)

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