見えているのか
人間の最大の情報入力は視覚からである。でもコミュニケーションや記録手段は言葉であり、それを表現する文字であろう。得られる情報だけではなく、その情報を組み合わせ、推測し整理しながら理解という過程を経る。理解が100%出来ない状態でも、行動しなければならないし、100%でなくとも行動できるという面もある。
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いかに情報を整理し身につけるか、また他人にそれを伝えるか。一番優先度が高いのは、自分自身がいかに「見える化」できるかである。アメリカのビジネスマン、特にコンサルティングと呼ばれる職能の人たちは、そのフレームワーク作成が巧みだ。
さらに、ITにおけるシステムを構築するという作業は、パターン化しモデル化しないとシステム化できないのだが、そのためのノウハウや知識はシステムを構築する側にはないため、「見える化」が必須という側面もあるだろう。
他人からのヒアリング能力が問われる場合だが、聞きだすというテクニックはもちろんだが、得られた情報の解釈が伝える側も理解していないケースも多く、それらは先入観や主観に左右される。そのために、いかに数字で議論するかが強調されがちである。
先日、国産ITベンダーのインタビュー記事にあったのが、グローバル規模でビジネスを行っていて、同じ会社のなかでも多数の言語、民族間で事業を行っていくうえでの共通語は、「数字」であるというのが印象的だった。異なった宗教や価値観ではなく、共通の決定基準や優先度の選定では「数字」こそが有効だということだ。
しかし、数字かさえすれば、共通化できるかどうかは、実は、かなり危ういらしい。数字の読み方には、主観や先入感がはいる余地も大きいことだ。
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数字化できるものというのは、基本過去の実績である。数字で予測できるのは、確立だけであり、前提条件が変化しつづける場合、はたして過去の実績だけでよいのだろうか。