matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

祝!アカデミー受賞

祝!アカデミー受賞

おくりびと」がアカデミー受賞。
昨年は、肉親を亡くし納棺の作業そのものを目のあたりにし、同時期にこの映画が公開されていた。あまりにも身近すぎて、映画を見に行くのは躊躇われたので、まだ見ていない。もうしばらくしたら、DVDでも見られるだろうから、それから見てみたいと思う。
肉親を亡くして、初めて「死」というものを目の当たりにした。突然死ではなく、肺炎、入院し胃ろう状態となり介護施設にお世話になり、事実上そこを追われ最後は病院で意識不明となった挙句なくなるという過程を医療介護の現状を目の当たりにしながら体験してきた。人はなかなか死ねないと感じると同時に、死という実感がないままその時をむかえるのだということを強く感じる。
自宅で亡くなりたいという人が8割を越すというアンケートをテレビで語っていたが、その希望者の半数以上がそれは困難であり、家族に負担がかけたくないという、両方の想いがでている結果でもあった。自分がその時を迎えるとき、あそこまで生きたくない、施設や病院で管をつながれた状態になりたくないという想いは、周囲の家族ほど感じるのではないか。延命処置を望みますかという問いかけは、本人に聞かれるだけではなく、家族にも聞かれる。それに対し「望みません」と答える自分に割り切れないどうしょうもない感覚をも味わいたくないという想い。
「早く楽になりたい」「迷惑をかけてすまない」最後には、嚥下障害で言葉が非常に困難な状態で搾り出すように言った言葉が最終的には聞き取れた言葉だった気がする。
しかし、心筋梗塞の発作が起きたとき、救急車を呼んでくれといったのは本人であり、肺炎にかかり医者に行ったのも本人である。「死」を避けるのは本能的な行為であり、感情なのだ。
定年になり田舎暮らしを望む人の取材番組を見ていた。定年まで会社のために、家族のためにと仕事だけだった人ばかり。田舎暮らしをしたいのは定年をむかえた仕事人間の夫であり、妻はそれに反対するという図式があった。妻には、なにも変わらない、変えたくない生活が続くが、仕事を亡くした夫にはなにも残っていないのかもしれない。
わたしの父も、働いているときは、退職後は川に毎日釣りにいくと言っていたが、結局、1度も行っていない。


鉄から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)

鉄から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)

鉄を制するものが天下を制する。
大和朝廷の権力の源泉は大陸からの鉄の調達ルートを持っていたことだろう。韓流ドラマの歴史物を見ていると、古代朝鮮では鉄と塩をいかに把握していくかが描かれていることが多い。
鉄そして、塩。どちらも大量の薪や炭が製造に必要だ。古代は森であった中国の大地を土の大地にかえてしまったのは鉄と塩だったような。
また、鉄は農具となった結果、耕作可能地を大きく広げたはずで、生産性を高めたものでもあったはずでもある。自然破壊により得たもので、農業という自然力を制御し利用する手段を得ていたのかもしれない。