matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

さびれゆく地方の商店街


名鉄が、岐阜のテナントビルを売却したことが明らかになった。

岐阜メルサ・ファッション館を売却 当面は営業

 ファッション館は本格的なファッションビルとして人気を集め、ピークの1996年度には44億円(テナント料収入のみ)を売り上げた。その後、郊外で相次ぐ大型商業施設の開業や中心市街地の地盤沈下で売り上げが低迷。2002年には名鉄協商に運営主体を移しテコ入れを図ったが、最近5年間は20億円を下回り、06年度は12億円にまで落ち込んでいた。

戸外方のショッピングモールが定着し、飲酒運転の厳格化と自動車通勤の一般化が地方都市の歓楽街や商店街を追い込んでいる。岐阜の柳ヶ瀬は、歓楽街と映画館が集客の核だったが、郊外型ショッピングモールが映画館を併設し、飲食店を包含したことが、その存知意義自体を亡くしたためだろう。車社会の到来が駅前商店街を衰退に追い込んでいったことは事実だが、若者が地方ではなく都会(ここいらでは名古屋)のより繁華街にシフトしていることも大きな要因であろう。名古屋駅前や栄など都会の繁華街に若者を集めていることは、変わりが無いようにみえる。その意味からすると、地方商店街などの衰退は、少子高齢化にともなう若年層の人口減が最大の理由ではないかと思える。

限界集落という、地域社会自体が消滅していく現状は、どう帰られるのだろうか。人がみな都会近郊に住むのであれば、地方という存在価値を感じることが薄れていく。

古代中国のくには、集落である邑からはじまっているようだ。
集落の規模が大きくなり、壁やサクで囲い、境をつくることによって社会が形成された。都市国家が、国としての出発点。
日本でも、環濠集落がクニとしての出発点でもあったようで、環濠集落(かんごうしゅうらく)とは、周囲に堀をめぐらせた集落(ムラ)のこと。水稲農耕とともに大陸からもたらされた新しい集落の境界施設と考えられている。
その集落を超えた規模が、古代国家として拡大をはじめている。

中国の都市やヨーロッパの都市でも人々は、城壁の中に居住し、物資を集積することによって、大きな人口を擁する事を可能にしている。
江戸周辺など都市の周辺には食料の需要により、農業などの発展が促されている。その結果、としは経済圏として大きな商品供給の源にもなっていくのがわかる。

物語 京都の歴史―花の都の二千年 (中公新書)

物語 京都の歴史―花の都の二千年 (中公新書)

京都というと、貴族たちの生産性のない消費地帯というイメージがあったが、実は工芸品などの生産力をもつ地域として発展していったことも伺える。

地方の人口減少による需要の減少は、生産力自体を減少させ、それが結果として働く場所としての機会を減少させていくという結果になっている。東京や名古屋などの大都市周辺のベットタウン化していくのが岐阜の現状で、それは、都市に対する物資の供給元は国内ではなく、中国などの海外になっている、いわばグローバル化が、その根本ではないかと感じる。
かつて、岐阜はアパレルの一大拠点であり、ファッション産業の大きな供給地帯だった。アパレル関係者が多いため、岐阜にパルコが名古屋よりも早くから進出したり、おおきなアパレルメーカが柳ヶ瀬にアンテナショップを出店するなどしていた歴史も合った。しかし、アパレルの生産地は中国など海外になり、プレス加工などアパレル周辺の仕事も激減している。

かつての都市周辺には、その都市に食料を供給するための生鮮食品の野菜栽培や味噌や醤油、酒などの加工食品産業が盛んになっていった。
しかし、現在では冷凍・冷蔵技術の進歩により、食料供給に距離や時間の障壁は低くなっている。
しかし、昨今の冷凍食品の農薬疑惑は、その危うさを露呈した。
問題となった商品には「手作り」というコピーがついているのが、料理という手作業までもが海外依存している現状を物語っている。