matsuok’s diary

あくまでも個人的意見であり感想です

いま、地方はパチンコとカラオケとサラ金しかない


郊外型の大型ショッピングモールが続々と建設され、地方の商店街が廃墟化し、ローカル線は廃線になり、バス停にバスは朝と夕方しかこない。
電気製品の大型店舗は、町の電気屋を駆逐した。駅前のショッピングセンターは撤退し、地方の鉄道駅の前には、本屋も喫茶店さえなくなりつつある。挙句の果てには廃線さえされそうだ。
いまショッピングセンターでさえ、過当競争で撤退でもしたら、地方にはなにが残るのだろうか。
アメリカの地方では、ウォールマートの進出が町の個人商店を駆逐した後、撤退され町自体が荒廃していく、それは、人が集まる場がなくなることは、コミュニティーを消滅させ、文化さえ喪失しかねない状況だそうだが、日本の地方もそうならない保証はどこもない。
平成の市町村合併は、町や村役場が統合されることを意味する。役場には人があつまり、その周囲には飲食店や理容店などがあり、そこにコミュニティが存在していたはずだ。かつて、洗濯場や銭湯はコミュニティであったが、内風呂や洗濯機の普及が近所の集会場所を無くした。いまや、児童公園が、唯一の場だが、少子化がその機会さえ少なくしている。
新興住宅地は、開発時期にほぼ同世代がいっせいに入居してくる。そして、そのまま高齢化していく。多摩ニュータウンは、今どうなっているのだろう。

私の住む地方都市の郊外には環状線があるが、その道路沿いに目立つのは、パチンコとカラオケと、消費者金融無人店舗だ。
パチンコには多くの人が集まるが、基本はひとりでおこなう遊びだ。カラオケは複数でおこなうにせよ、個室に区切られた場であり、消費者金融にいたっては、無人店舗で相手は機械だけ。
コンビニもだが、店員などとの会話のキャッチボールがないのが特徴だ。

農業以前の時代、人間は採取生活であり、それは個人的なライフスタイルだったかもしれない。採取や狩猟では縄張りを守り、距離をおいていかないと、食糧を取りつくしてしまう。しかし、農業は集団化することにより生産能力を向上させることができた。人は、一人では限界があるはず。